2018.12.18
【公演批評】千日前青空ダンス倶楽部『無邪気な庭』(竹田真理)
REVIEW2018.12.18
【公演批評】千日前青空ダンス倶楽部『無邪気な庭』(竹田真理)
REVIEW
2000年に大阪で結成された千日前青空ダンス倶楽部(以下、「千日前…」)は舞踏に基礎を置くカンパニーだが、コンテンポラリーダンスとの接点を備えたポップで軽やかな作風で知られる。男性振付家が女性ばかりのメンバーを振り付ける構図には、後期の土方巽が芦川羊子ら女性舞踏手を多く振り付けた「東北歌舞伎計画」などが連想され、ある時、カンパニーの振付家、紅玉に参照関係を尋ねてみたことがあるが、紅玉は関連を否定した。土方の方法をなぞるのではなく、今のダンサーの身体で今の舞踏を作りたいとの思いからだろう。白塗りこそしているものの、舞踏といえば通常イメージされる中腰・ガニ股、歪なフォルムやグロテスクな表現とは一線を画した「千日前…」の世界は、ユーモラスで愛嬌のある踊りの裏にノスタルジーに満ちた共同体の記憶を甘悲しく湛えている。同時に、近代以降の日本人が忘れつつある非合理な存在としての物の怪や死者たちへの眼差しがあり、プレ近代への志向の意味で舞踏の価値を引き継いでいる。
8年ぶりの劇場公演となる『無邪気な庭』は、いつものとおりオムニバス形式による作品である。客席側の天井には結界を示す麻縄と飾り玉が吊り下げられており、聖別された非日常の場所としての設えが見られる。ここを「庭」として様々な踊りが「無邪気に」繰り広げられていく。
最初のシーンで闇に白く浮かぶ女性(稲吉/文)は、上手に置かれた椅子に座り、指で自分の眉や唇を順に触れてゆく。その手のひらを静かにみつめ、窓の外に視線をやり、過ぎていった時に思いを馳せる様子。流れてくる女性の声が「When I was most beautiful…」と歌う。茨木のり子の詩「私が一番きれいだったとき」を英訳したフォークソングだ。プロローグに当たるこのシーンは回想をテーマにしているのだろう。血潮や脈動を感じさせない文(あや)の静かな動きは過去の時間に属しており、舞踏の典型である白塗りは、ここでは時間の糊塗を意味している。椅子から立ち上がった文(あや)はゆっくり後方へ歩いていき、正面を向くとその場で両脚跳びを繰り返す。規則正しい跳躍の刻みが時間を過去へと巻き戻していく。
続く場面は「千日前…」としては異色である。まだ暗転のうちに布のはためく音が聞こえ、照明が入ると、目隠しをした上半身裸の男性(山本和馬)が大きな旗を右へ左へと振っている。布を空中に大きくたなびかせるイタリア伝統の旗振りの行事を彷彿させるパフォーマンスで、中世の都市国家間の戦闘時の伝令に由来するという雄々しさそのままに、女性ばかりのカンパニーに差し挟まれた男性性を象徴するシーンである。見れば白い旗には一面にセピア色の染みが滲んでいて、たとえば白旗は降伏を、セピア色の染みは流血の跡を思わせ、見る者の胸に、革命への潰えた夢や、敗者のロマンといった情感を掻き立てる。旗の振りは八の字を描いたり足元から掬い上げたりと変化を見せるものの、ほぼ定位置に立っての、ごくシンプルなパフォーマンスである。だがそこに様々な意味や感情が去来し、やはりどこかノスタルジーを含んだ「千日前…」ならではの作風である。
次いで暗闇にほっこりと丸い灯りが一つ二つと浮かび、提灯を手にした4人のダンサーの踊り。赤やピンクの着物に短く帯を結び、童女のあどけなさをまとっている。歩みを揃え、位置を図形的に変化させながら、静かにしゃがんだり、手をかざしたり、提灯を揺らしたりのささやかな動きは夢のように愛らしく、音楽も相まっての幸福感を極めた情景を浮かび上がらせる。「無邪気な」庭で遊ぶ精霊たちといった趣きだ。
キャバレーの踊り子を思わせる小つる(佐藤ゆか里)のソロは、往年のロック・ギターの名曲とともに妖艶な姿態をみせるパフォーマンス・ショーだ。一脚の椅子の上でダンサーはあまり多くを踊らず、手数を抑えた振付が観客の視線をじらす。そうかと思えば振り向きざまにペロリと舌を出し、物の怪ぶりをさらけ出す。貴婦人と娼婦の間を行き来するイメージは提灯のシーンの童女と対をなしており、どちらも女性の中にある身体像の一つに光を当てたものである。千日前青空ダンス倶楽部はこれまでにも、少女、女官、女給、アマゾネス、孟母など女性性の様々なイメージを取り出し、可憐、高潔、獰猛といった人格に特化された身体像のバリエーションを踊りにしてきた。現実の女性たちはそれぞれがこれら身体像や人格の複数の側面を生きており、その複雑な混合はジェンダーを超えて生きられているが、記憶の中にいる者たちは純化したイメージを生き続ける。それらは女性像の典型や原型であり、物語や神話の人物、あるいは見世物小屋で出会う異界の住人たちである。死の影をまとい、人の生に限りあることを告げる「あの世」からの使者たちでもある。千日前青空ダンス倶楽部の踊りとはこのように、生に限りがあることの根本的な哀しみと、人が生を受ける限り負わざるを得ない負荷として身体を捉える認識のもとにあり、したがって身体を人間の自由意志によって革新していく創造物とするのではなく、歴史の中に見出される所与のイメージによって彩り、その現れを寿ぐ、諦念をともなった祝祭であると言うことができるだろう。
さて、続くシーンに現れたのはこうした身体像の典型としては捉えきれないものである。舞台奥に等間隔で並んだ4人(稲吉/文、エミリー/内田結花、そら/中間アヤカ、菜々/植野晴菜)を仄暗いライトが一人ずつ照らすと、それぞれが形にならない儚げな動きを見せる。そこから各々舞台手前に歩み出て、床に身を崩して倒れ、再び立ち上がり、歩いては倒れを繰り返す。やがて衝動に突き上げられてか、それぞれ叫び声を上げながら走り、倒れる。
4人はジャケットにショートパンツをはき、顔に白塗りをしてはいるものの「あの世の者」とは趣を異にした現代の女性たちである。簡単にキャラクター化されない姿は、これまでの「千日前…」で見られたような純化された女性像とは一線を画している。想像をたくましくすれば、暗いカーキ色のジャケットは労働者を、立ち上がっては倒れを繰り返す女たちは闘い傷つく女性を思わせる。たとえば前世紀の労働運動や女性解放運動、婦人参政権を求めて闘った先人の女性たちなどが連想され、これは今現在の女性たちの異議申し立てである#MeeToo運動への「千日前…」なりの応答ではないかとも思えてくる。純化され固定化した女性像ではなく、自らの生を生きようとし、そのための闘争を辞さない女性たちの歴史と現在を映し出すもの――そう解釈することの可能な表現になっているのである。しかし、「闘う女性」とカギ括弧に入れれば、これもまた一つの特化された身体像に固定化し、積み重ねられてきた女性の現実を表象に閉じ込めてしまうだろう。
このシーンの可能性はむしろ、そうした表象に回収されないパフォーマンス自体の展開にあるかもしれない。各々が舞台をランダムに走り、くるりと自転しながらフォール(倒れ)を繰り返すシーン、あるいは向かい合う相手と互いに機を伺いながら「逃げる」と「捕まえる」の駆け引きをするゲーム的な行為などは、コンテンポラリーダンスの技法の応用であったり、稽古場での集団ワークの実践であったりするだろう。4人は何故かおもむろに懐からキュウリやニンジンを取り出して齧るが、その行為の意味を問うより、脈絡が不意に外れる際のユーモアを受け止めるのがここでは正しいだろう。そうした無意味性の最たるシーンは、4人が叫びと走りの果てに床に倒れている、絵としては悲劇である場面を、山本和馬がこれも何故か麻袋を背負ってゆっくりと横切っていくところだ。そのシュールな「文脈外し」は意味で閉じられようとする作品世界にパフォーマティブな裂け目を入れる。しかし、ここでもう一歩深読みしてみるならば、この「闘う女性」の主題は先の山本の旗振りのシーンと、革命/闘争のモチーフで関連している。ここでの山本も重荷を負った働く男であり、過酷な労働という現在の社会の暗部を映し出す身体像と言える。冒頭の「When I Was Most Beautiful」はベトナム戦争時の反戦歌でもある。女性たちの純化されたイメージを通して生と死の境界を描いてきた「千日前…」の世界に、こうした革命や闘争、反戦のモチーフが散りばめられているとすれば興味深いことだ。さらにいえば、山本の労働は「力」を表し、旗のシーンと同様に男性性を象徴する。しかも性差による支配や権力、ハラスメントをふるう側とは立場を異にする者として、傷ついた女性たちの背後に姿を見せる。であるとすれば、やはりこれも#MeeToo運動への応答と受け止めることはできないだろうか。振付家・紅玉の死者たちへと向けられてきた眼差しは、抑圧や差別を受けている者たちへも注がれている。声を上げられずにいた者、抵抗する者への共感の眼差しが、「千日前…」の想像力の中に組み込まれていると、一つの読解の可能性として考えられるのである。
さて終盤には、中間アヤカのソロが置かれ、肩をはだけた白い衣装でアメノウズメを踊った。最古の踊り子と言われる芸能の女神は、天岩戸に隠れた天照大神を呼び出そうと地面を踏み、「力強くエロティックな動作で踊って八百万の神を大笑いさせた」(ウィキペディア)という。なんとも「千日前…」にふさわしいキャラクターといえるが、中間のアメノウズメはずっと洗練されていて、コンテンポラリーの身体で、振付の分節とフォルムの不定形との間を注意深く探って踊る。水や森の精を思わせる清潔なエロティシズムが香った。ここに稲吉、小つる、エミリー、菜々が行列を作って加わり、女神と精霊たちによるレビューを繰り広げて終幕となる。最後に空から大量のパチンコ玉が「ざっ」と降ってきて、あの世の者たちの時間は終わり、結界は閉じられる。
8年ぶりの劇場公演はカンパニーの変わらぬ作風と2018年の現在からの視点を含んで多彩な内容をみせた。タイトルの『無邪気な庭』は造園家ジル・クレマンの「動いている庭」から採られていて、「お互いにその命を尊重しながら共生できるような」社会をどのように生み出せるのかと問い掛けている。闘う者、抵抗する者のモチーフはこの問いに説得力を与えているだろう。ただ、舞台からの訴求力という点では、全体的にパフォーマンスがおとなしかった印象だ。男性の振付家が女性ダンサーに振り付ける関係において、要請される身体像にリアリティを充填していくにあたってはダンサーの側から議論を求める場面も出てくることだろう。そうしたプロセスを敢えて生きつつ、振付に息を吹き込むダンサーたちのパッションを見たい。
舞踏カンパニーとしての「千日前…」は、思想的には、身体を所与のものと受け止め、その限界への認識という点で、西洋の合理主義とは異なる身体観を呈している。中腰、ガニ股、超低速など舞踏の動きを外見上なぞるものではないが、「突っ立った死体」(*)や衰弱体、不具の身体など、逆転した美学を掲げた土方巽の舞踏を西洋近代批判とみなす価値観に通じていることは確かだろう。一方、コンテンポラリーダンスの時代にあっては全般に、ダンサーの出自も活動も様々で、各所のワークショップを通じて多様な身体技法に触れ得る状況が、却ってカンパニーに共通の身体性を打ち出しにくくしているかもしれない。形骸化した型の模倣に意味はないが、カンパニーという共同性の中で新しいメンバーを迎えながらどのような身体の基盤を築いていくか、見守っていきたい。
最後に形式的な面をいえば、土方舞踏にもその要素があるとされるショーダンスとしての可能性に注目したい。土方に師事した舞踏家、三上賀代は「私は土方に『舞踏譜』を使って振付けられたショーダンスを…踊っていた。…私は一人前のショーダンサーになっていた」と書いている(「ダンスワーク」77号、特集―土方巽没後三十年)。もっと舞踏そのものを踊りたかったのだとの主旨で書かれた文章だが、土方におけるショーダンスとの関わりの深さを示唆する言葉である。最近の金粉ショーのリバイバルや、当カンパニーにもそのメンバーを擁する黒沢美香と神戸ダンサーズ「ジャズズ・ダンス」に見出されるショーダンスの系譜など、エンターテイメントや芸能とのつながりにおいて語る視点が、ダンスを近代主義的な「芸術」や「作品」の枠から解き放つ鍵になると思われる。オムニバス形式をもつ「千日前…」に固有の形態が、見世物小屋のいかがわしさと妖しさを湛えながら、様々な身体像に息を吹き込み、生を彩る祝祭を繰り広げることを期待したい。
(*)土方巽の有名なアフォリズム「舞踏とは命がけで突っ立っている死体である」より。立つための技術である舞踊に対し、立てないことから始まる舞踏の思考を表している。
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関西を拠点にするダンス批評家。毎日新聞、ダンスワーク、シアターアーツ、ダンサート等紙誌のほかウェブ上に寄稿。
《DANCE BOX・踊りの火シリーズ》千日前青空ダンス倶楽部『無邪気な庭』
公演日時:2018年9月29日(土)15:00 / 19:00
主催 : 千日前青空ダンス倶楽部、NPO法人 DANCE BOX
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)|独立行政法人日本芸術文化振興会
協力:神戸わたくし美術館
『無邪気な庭』特設サイト:https://archives.db-dancebox.org/program/2386/