2018.4.13
大好評!「アランのアフリカン!ダンス教室」 クラス紹介
REPORT2018.4.13
大好評!「アランのアフリカン!ダンス教室」 クラス紹介
REPORT
(写真)3月25日のクラスの様子
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アフロコンテンポラリーダンス、もしくは、コンテンポラリーアフリカンダンスという言葉(以下この二つをACDとする)をご存知だろうか。それ以前に、アフリカンダンスという言葉からどのようなダンスをイメージされるだろうか。
「アフリカンダンス」はアフリカ大陸で発祥し踊られている様々なダンスを含む大きな概念で、また、特に西アフリカのダンスを指すこともある。それらは従来イニシエーション等の特定のコンテキストの中で踊られてきたが、近年ではそういったコンテキストから切り離し、アフリカンダンス由来の動きを使うダンスをACDと呼ぶようだ。さらに、その概念は西欧文化由来のダンスとの関係の外でも成立するのか云々言い始めると議論が尽きないような、つまり非常に曖昧な概念である。定義はさておき、私個人的には、アフリカンダンスは体内を伝わる力の使い方・力の表現・コミュニティ創出力に特徴があると理解している。踊り手の肌の色や体型によるのではなく、動きとバイブから「これはアフリカンダンスだな」と感じるものである。
ではACDは関西圏ではどこで踊れるのか。答えは「踊れない」。アフリカンダンスの不定期のワークショップは開催されることがあるが、定期コンテンポラリークラスとなると寡聞にして知らない。そのため、恥ずかしながら筆者は自分でクラスを始めてしまった。そこまで切羽詰ったACD砂漠なのである。
ここに地殻変動が起こる。dbの第6期留学生としてアラン・シナンジャが昨年7月に来日したのである。彼はACDの総本山であるセネガルのエコール・ド・サブレの第一期卒業生で、彼の動きの中には、品のある開放感とでもいうような、それはそれは美しいエコール・ド・サブレ節(?)が見て取れる。
彼のクラスは極めてACD的だ。参加者は-初めての参加であろうが、経験者であろうが-比較や批判の目から開放された空間で、自分の動きと高揚感を高めていく。アランの朗らかな人柄も相俟って、参加者が踊ることに不安を感じることはない。彼はクラスの内容を予め決めておくことはせず、その場の雰囲気やノリから内容を組み立てるという。振り付けありきではなく、歩く、かがむ、息をする等の動きから自らの身体を発見しバイブを感じられるように導いてくれる。普段は気にもかけない自分と外界との関係に気づくこと、さらに外界との合一感を得ること。あくまでも個であり、かつ全体であること。日常生活ではなかなかに得がたいものである。
クラスの終わりにはリチュアルの匂いすら感じる。円になり、参加者の手を中央に集め、互いに触り、中心から空想上の玉子を取り出し、隣の人の頭の上で割る。身体に滴る玉子で清めた後、悪いスピリットを物置やトイレに捨てに行く。この一連の動きはユーモアでもあり、本当にリチュアルでもあるのだと思う。
アランのクラスは、簡単なものでも難しいものでもない。そのような価値観とは別のダンス体験なのだ。
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