2017.11.3
【K-ACDF】エグリントンみか インタビュー(前編)
INTERVIEW2017.11.3
【K-ACDF】エグリントンみか インタビュー(前編)
INTERVIEW
アジア諸国で舞台芸術に関わる人々が集い活動を展開している「アジア女性舞台芸術会議」。今回はメンバーのエグリントンみかさん(以下、エグリントン)に”女性”が働く現在のこと、そして今回の展示映像作品『 93 Years, 1383 Days』について、なぜ映像に残しているのか、その背景に見えるベトナムの歴史的背景等々、様々なお話を伺いました。
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-宜しくお願いします。
エグリントン:宜しくお願いします。
-亜女会(アジア女性舞台芸術会議)のことを関西ではまだご存知ない方も多いと思うので、まずは組織の集合体のことを説明をお願いしてもよろしいですか?
エグリントン:1980年代に劇作家・演出家の如月小春さんや岸田理生さんらが始動させた「アジア女性演劇会議」からインスピレーションを受けて、2012年末に羊屋白玉と矢内原美邦の声がけで始まったコレクティブです。アジア女性舞台芸術会議、略して「亜女会」は、演出家、翻訳家、研究者、映画監督、プロデューサーなど舞台芸術に関わるメンバーがアジア諸国の女性と連携しつつ、現地調査を通してネットワークを形成し、アジアと女性と舞台芸術をキーとしたプラットフォームの形成を目指しています。まだ多くの事がワークインプログレスで、メンバーによって考え方にも差異があるので、以下は私の考えを述べますが、そもそもアジアという概念自体が、地理的にも歴史的にも非常に流動性があり、定義しにくい現象だと考えます。さらにアジアにおける女となると、未だ男性西洋中心主義が根強い社会においては、周辺的、あるいは二次的な立場に置かれ、歴史の大舞台からはこぼれ落ちてきた存在であると私は考えています。例えば、世の中に出回っている演劇史や舞台芸術に関する書籍の数を概観すると、ヨーロッパの男性演出家についての言説が大多数で、アジアに生きる女性の、特に舞台芸術に関わる言説は、圧倒的に少なく、未だマイノリティと呼べます。日本の芸術界においては、演劇、そして舞台芸術そのものが、例えば美術や音楽に比べて周辺的な位置に置かれてきた歴史がありますが、二重にも三重にもマイノリティであるのが、アジアで舞台芸術に関わる女たちで、その様々な声を集めていきたいという欲望に動かされている者たちの集合体が、亜女会であると私は認識しています。
-ということは、アジアにおける舞台芸術の女性による活動っていうことをもうちょっと底上げしていくというか…
エグリントン:それを実現するために、現時点ではアジア各国の舞台芸術のこれまでの歴史と、今、何が行われていて、何が問題になっているのかという現在形を学び、他者を知ることに焦点を当てています。アジアの国の事情は、地理的には近いのにも関わらず欧米の事情より理解が浅かったりします。また、これまでの個々のメンバーの活動を通してアジアでの友人はいるものの、個人と個人との関係に留まっていることが多いので、まずはこうしたネットワークを、有機的かつ持続可能なプラットフォームに発展させて、対話、交流、会議、共同創作、記録、出版といった活動を通して、アジアにおける女性による舞台芸術を可視化、活発化していくことを目指しています。
-アジアの女性作家や会合などが行われていく中で、どこが課題のように感じておられるかということと、あとそのどういうポイントに可能性を感じているかということを教えてもらえますか?
エグリントン:メンバーたちが皆忙し過ぎることが、今まさに直面している課題です。舞台芸術職という領域にとどまらず、現代人が往々にして忙し過ぎると思うのですが、目の前にある自分の仕事に追われて、亜女会という共同作業に避ける時間がしばし限られてしまっていることが、活動の運営上の最大の問題点になっています。
-その忙しいというのは家事と仕事っていうことではなくて?
エグリントン:家事と仕事という日常を送るための必要不可欠な営為を回していくだけで精一杯で、他者との共同作業である亜女会の活動が入る隙間があまりない、と思う時が私にはしばしばあります。仕事が忙し過ぎて、仕事以外の時間ないと感じるのは、男性も同じことだと思うのですが、女性の場合は、立ちはだかる問題にさらなるレイヤーが加わるということをしばし痛感させられます。例えば、男性中心主義社会では、男が仕事をすることが、相も変わらず当然視されがちで、それはそれで偏見であり、プレッシャーでもあるけれども、すでに既存のシステムやルールが形成されているのに対して、女性が女性のニーズに沿った新しいシステムやルールで働こう、これまでにない場や方法を探ろうとすると、男性よりも多くの時間と労力を割いて、切り拓いていかなければならないことが多々あります。より卑近な例を挙げると、男性の場合は亜女会を反転させた「アジア男性舞台芸術会議」みたいな集合体を作る必要性をあまり覚えないと思うのです。すでに、男性を中心としたネットワークで舞台芸術界が自然なものとして動いているのだから、それを敢えて作りたいという欲望がそもそも生じません。反面、女性の場合は、既存のシステムに欠落や居場所の無さと問題をより強く意識できるがゆえに、それらを改善したいという欲望が働きます。こうした欠如感、不在感、周辺性から生じる欲望は、新たなものを生み出す原動力であると同時に、多大な時間と労力を要する集団の開拓作業は苦しみを伴います。ゆえに亜女会の活動は、可能性と問題点が常に既に表裏一体になっている訳です(笑)。
-そうですね。でもそしたら結構、アジアで舞台芸術に関わる女性と話されていても、待ってましたという感触は…
エグリントン:はい。個人差はもちろんありますが、強い感触を覚えます。
-亜女会が今後ネットワークを形成していくっていう上で具体的にどういうことを、何かこうやっていこうっていう展望みたいなものはあるんですか?
エグリントン:2014年に劇作家大会でのシンポジウム、2015年に大地の芸術祭期間中に新潟の上郷クローブ座にて「第1回アジア女性舞台芸術会議」、2016年 12月に東京・森下スタジオにて第2回アジア女性舞台芸術会議」、そして2017年6月に交流会という名で第一回目のアジア女性舞台芸術交流会を行い、アジア5カ国から12人を招聘しました。会議、シンポジウムを、リーディングや公演といった制作活動とともに企画してきた訳ですが、今後の展開としてはこうした会議を、日本人が中心に企画してアジアから誰かを招聘するというに形だけではなく、各国でこうした会議を日本中心ではなくて、その主催国の人が中心になって回していきたいと考えています。
-それは作品をつくるってことだけじゃなくて?
エグリントン:作品を作ることを通して、ネットワークを拡張し、強化していきます。しかしながら、舞台芸術のプラットフォームを作ろうとすると、どうしても日本の助成金に頼らざるを得ず、結果として企画メンバーが日本人中心になってしまいがちです。日本経済が下向きになって久しいですが、アジアにおいてアーツに助成金が出せる国はまだ限られており、未だに日本のマネーパワー以外の術がなかなか見出せないのが現実です。よって、日本以外の国で会議を開催しても、日本の助成金に頼ってしまう嫌いはあるにしても、各国の代表が、ローカルな文脈から企画をリードするという内容面において、できるだけ日本中心主義をも脱却していければなあ、と思っています。
-それがあるからシンガポール会議なんですか?
エグリントン:そうです。シンガポールなど日本以外で会議をやる際に、その国の人が中心になって動けるようなプラットフォームと、その基盤となるネットワークを構築していきたいと思っています。
-なかなか大きな事業ですね。
エグリントン:でも、これも私の考えであって、亜女会の中でも考え方が違ったりします。どんなに私たちが日本中心主義を脱却したいと思っても、現実問題として助成金がとれなければ、何もできない。実際のところ、ジャパニーズ・マネーなしでは動けないこともあって、いくら話し合っても、解決の糸口が見出せない難問続きですね(笑)。
-ネットワークを形成していく中でグェン・チン・ティさんと出会ったんですね。今回「下町芸術祭」ではティさんの作品を上映させていただきますが、みかさんがティさんの作品について、何か着目している点を教えてもらってもいいですか?
エグリントン:ティさんの作品全般的に言えることなのですが、非常にパーソナルでありながら、それが共同体や国家といった公的な記憶や物語に結びついていて、自己と他者、個人と国家、ローカリティとグローバリティといった二項対立や差異を覆すような視点を持ち合わせています。今やベトナムを代表する映像作家として世界各国に招聘されて多忙な日々を送る彼女は、「ハノイ・ドック・ラボ」というベトナム初の映像芸術のインディペンダントな実験場の創設者でもあり、自分の作品制作の追求のみならず、後継者のためにアーツのインフラを自らの時間と労力を割いて開拓し、牽引していく姿勢にも惹かれました。私が初めてティさんの作品に出会ったのは、彼女のほとんどの作品を惜しみなく紹介しているホームページを通してなのですが、サイトをクリックした瞬間、「自分の作品を広く共有したい」という彼女の欲望が、「ベトナムの現実を写し込んだ視覚芸術を知りたい、ベトナムの作家と共同作業をしたい」という私の欲望と共鳴したように感じました。一連の作品群のなかでも、『93 years, 1383 days』が今回の下町芸術祭のテーマである「家族の系譜」に合うと直感しました。ティさんのお祖母さんが亡くなり、最初の土葬の約4年後に、墓を掘り起こし、骨を洗って本葬儀を行うという、ベトナム語で「bốc mộ(ボクモウ)」と呼ばれる洗骨の儀式を扱っているのですが、映像を見ているうちに、死後の世界から現世で自分の骨を洗う家族を眺めている死者の視点と同化してくような感覚を覚えました。生者の視点からではなく、死者の視点から生者の営為を見返している、つまり、洗われているのでは死者の骨でなく、生きている私自身の体であるといった、見る者と見られる者、此の世を生きる者の他者であるはずの彼の世の死者の間の視点が逆転したことに、死の瞬間に抱く鳥肌立つ衝撃と永遠の眠りに就く前の安堵を同時に感じました。
(後編を読む)
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アジア女性舞台芸術会議(グェン・チン・ティ、エグリントンみか)
『93 Years, 1383 Days』
ベトナム・ハノイ在住のグェン・チン・ティの映像作品は、祖母の遺骨を洗い清める洗骨の儀式を記録した。家族を弔い、その死を想うこと。様々な節目に行われる儀式を通して、私へとたどり着く家族の系譜を見つめます。
〈展示〉11月3日(金/祝)〜25日(土) 11:00〜17:00 ※月曜日定休
〈場所〉駒ヶ林一丁目南部長屋(神戸市長田区駒ヶ林町1丁目7-11)
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