2017.11.10
【K-ACDF】矢内原美邦インタビュー
INTERVIEW2017.11.10
【K-ACDF】矢内原美邦インタビュー
INTERVIEW
岸田國士戯曲賞作家の矢内原美邦が、新長田の在日ベトナム人女性たちの声を拾い集めたこの作品。その台本を形にするのは、ベトナム映画「夏至」の主演女優レ・カインと、「水の駅」に出演し、今年活動40年を迎えた安藤朋子の2人。言葉が違う2人がどのように繰り広げるのか、どのようにしてこの『悲劇のヒロイン』は出来たのか…。
この朗読劇の作家・演出家であり、アジア女性舞台芸術会議の代表、そして今年20周年を迎えるNibroll主宰の矢内原美邦さんにお話を伺いました。
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-宜しくお願いします。改めまして、Nibrollが今年結成20周年とお聞きしました。おめでとうございます。
矢内原:ありがとうございます。
-先ほど地域創造のインタビューを読ませていただきました。ちょうど15周年の時のもので、とても興味深く拝見しておりました。今回はアジア女性舞台芸術会議(以下、亜女会)としてご参加してくださっていますので、まずは亜女会について教えてください。
矢内原:もう亡くなられましたが、如月小春さんと、女性の戯曲作家さん、岸田理生さんが「アジア女性演劇会議」ということをやられていたんですね。私たちはその頃アジアの劇作家や演劇を全く知らない状況でした。如月が初めてアメリカに行った際、アジアは多様な文化なのに日本の劇作家だけしか紹介されてなかったということに疑問を感じ「アジア女性演劇会議」をスタートされたそうです。今もその団体は他の方々が持続されています。やはり演劇界でも女性はとても窮屈な思いをしてきたみたいです。男女雇用均等法も80年代入ってから法律ができているので、その前の小劇場、演劇の世界は男性だけ。女性が中心になり劇を発表するということはあまりなかったようです。ただ、私たちはそういったことを私たちは経験していないんですよ。日本というフィールドで男性と互角にやっていても特に違和感を感じたこともなかった。でも、過去に差別があったんだよっていうこと、そして自分たちが(日本という)守られた世界にいるんだよっていうだけで、男女の差別って未だにあると思います。そこから、女性がどういったことを表現すれば社会は豊かになっていくのかということを考えていこうという。“子どものため”“育児のため”ということだけでなく、もっと大きくみて独身の女性も、家族をもっている女性もいろんな側面で捉えていきたいと思い始めていきました。女性的な考え、男性的な考えというのを越えて、 “より人間らしい考え方をみんなと楽しくつかみたい”と思ってこのアジア女性舞台芸術会議を私は始めてみようかなと思いました。
-始めたのはいつ頃ですか?
矢内原:始めたのは2013年ですかね?。でも始めの1年はだらだらと女子会しかしなかったです。羊屋さんと二人で会ってお茶するみたいな(笑)お互いにカンパニーをもっているので、そんなにがっつりできないということもあったので。ゆるやかな、強制的にこれをやらなくてはならないという考え方で始めたものではなかったです。今はそこに興味を持ってくれた人が徐々に集まってきているという状況です。興味を持ってくれる人であれば誰でも参加できるし、一緒にものを作ってみようとかリサーチしてみようとか、未だに緩やかな流れです。
-2013年の段階ではお二人で動き始められて、現在ではレ・カインさんだったり他の国にも広がっているという感じなのでしょうか?
矢内原:そうですね。ちょうどアジアセンターの助成金をもらって、様々な国に様々な人が行きリサーチをしました。レ・カインさんは(横堀)ふみさんの関係で繋がっていった感じなのですが、それと、Nibrollが青年劇場で公演をしていて何回かレカインさんにはお会いしていますし、結城座で坂手洋二さん演出をされていた時に出演されていて、私も何度か坂手さんの振付をしていて、そこでやっている姿を見に行ったりとか…その程度でしたね。
-去年もベトナムで公演をされていましたよね?
矢内原:そうです、Nibrollのベトナムでの公演は去年ですね。彼女は日本にとても興味を持ってくれています。青年劇場はハノイのなかでも重要な位置にある劇場で、しかもそこの副館長もやられている。そんな方に来ていただいて、ベトナム移民の言葉をベトナム語に変えて読んでもらうということはとてもいいなと思い、今回お願いしました。
-台本を拝見しました。観客はレ・カインさんが話している言葉(ベトナム語)を理解することはできるのでしょうか?
矢内原:翻訳を劇中に流そうと思っています。やりとりとしては、安藤朋子さんに日本語で、レ・カインさんにベトナム語でしていただくといった感じです。朗読劇といえども私の場合は多少動いたりもするので、ベトナム語と日本語がかけあっていかないと新しい交流として生まれていかないのではないかな。たとえ言語が違っても、そこにコミュニケーションを生むために2つの違った言語でやりたいです。2人とも女優さんなので表現者なので日本語、ベトナム語でやったとしても、2人の関係性のなかで生まれてくることは必ずあると思いますし、そこを信じてやってみようと思いました。
-「2人の女優が異なる言語でやり取りをしていく」という点は今回とても大事なポイントになると思いますが、いかがですか?
矢内原:大事だと思います。過去に、羊屋(白玉)さんともう一人のメンバー(前田)愛実ちゃん、マレーシアからきたミーストレーという3人で、(新潟県)津南の地域に嫁がれた外国人女性5、6人に、「日本に来てどんな体験をしたのか」「今どういった生活をしているのか」を取材をしました。そこから取材最終日に、机の上に取材中に出てきた言葉を選んで並べていったものを、来た方々に順番に読んでもらうということをやったんです。これを私たちは「あめかんむり」と読んでいるのですが、その時感じたのが、読むと違う世界にいく。自分の知り得ない世界の声を拾うことができるということを感じました。ただし実際目の前でやってみないと分からないという問題点があって、参加型として面白いプロジェクトだとは思いますが、周りで見ているだけの人にとってはアウトプットが難しいなと思いました。それで一つの課題として、アウトプットとして声を集めて劇をみてもらうということをしてみてもいいのではないかとなりました。それを下町芸術祭でできるなら、見せれるものとしてやってみようかという形で今回スタートしたんです。
試しに学生達と自分の家族を取材して言葉を並べていくという形で朗読劇をやったんですが難しかったです。言葉を並べただけだと見るに耐えうるものになってしまう。面白いところもありましたが、厳しいところもありました。誰もディレクターとして責任をとっていないのでね。そこが問題として一つあったので、今回は新長田でベトナム移民の女性にインタビューして、戯曲は私が書きました。ただそのままの言葉だと戯曲になっていかないという大きな問題を抱えているので、それを自分の中で一回消化して、新しい言葉として台本にしていくということをしました。が、すごく難しかったです。私が普通の劇作家ではないということもあるかもしれないですが…。
普段言葉を書くときは自分のなかで溢れて出て来たものを書いていくので、人の声を聞いて消化してからだと、ちゃんと伝えられる言葉に変換出来ているのかどうか疑問に感じています。でもそれをどうにか変えて、みんなで共有したいと思っています。
-今回はリサーチされたことを矢内原さんというフィルターを経て作品が出来ていますよね。ほとんどフィクションになっているのか、かなりリサーチに基づいているところが大きいのか。そういうところはどうでしょうか。
矢内原:書いていると好きなように書いてしまいがちなので、かなりフィクションになっている部分もあると思います。ただもらった言葉というのは非常に重い。インタビューで「この国にきて楽しいことはありましたか?」と聞いた時に、楽しいことはなかったと彼女は言いました。
見た目には楽しそうに見えるけど、「自分の思った仕事もできないし、ただ生きているだけで楽しいことはなかった。」という言葉の重さをどう受け止めるのかって。確かにそれは届かない言葉で今の社会の中で移民の言葉として出せないんですよね。私のような全然違う土地の人が入って聞いても、なかなか本音では応えてくれないんですよ。だから友達を通してとか、誰かを通して聞いていったのです。帰って来た応えも言葉は非常に重かったです。
例えば「なんでこの国に来たのですか?」という質問の応えは、理由はそれぞれにあるのですが、そんなに幸せな理由はなかったです。いろんな事情があってベトナムに帰れず日本に住み続けなければならない人とか、何故か政治犯にされてしまって帰りたくても帰れない人とか…。日本にいる限り命の危険性は全然ないけれど、言葉も通じないこの土地で自分の存在価値というものをどう探していくのか、そしてその辺りをうろうろするだけの存在に成りうる自分をどう受け止めていくのか、この辺りは非常に難しい話だと思います。
行定勲監督の『うつしい人』という映画の振付で熊本を訪れたときにも災害にあった方々の思いをどのように災害にあってない私たちが受け止めることができるのか?疑問に思いましたが、ここ長田でも移民の6割、7割の追い込まれて日本に来ている人たちの声に応えることができない、何もできない自分がいました。ただ、その声は必要な声だなと思いました。日本もいつまでも日本人だけで生きて行くような国でもない。国境自体を自分たちはどう考えていくのかということを改めて考えさせられました。
今回の朗読劇というのはそれを考えるきっかけになるのではないかなと思います。フィクションに成りがちですが本当のことを残しながらやったつもりです。だから8月にあげるとか10月にあげるとか嘘をついて(笑)、ギリギリまで台本を書いていました。書き始めると早いのですが、言葉を使ってどう物語にしていくのかなかなか難しかったです。ただ、まだ完成しない、これ以降も続いていくというイメージはあります。
-今後この作品を、亜女会として継続するのか、それとも矢内原さん独自の活動として展開していくのかどちらでしょうか。
矢内原:多分アジア女性舞台芸術会議の中の活動になっていくと思います。ただ戯曲としては、そこから離れてフィクションに寄る可能性もあると思いますので、自分の戯曲として全く生まれ変わる可能性もあります。会議の中でやっているのは女性の声をどのように拾うのかということなので、作家として関わっていると自分が考えもしなかった視点を与えてくれて、出会うはずのない人々と出会わしてくれるという意味で、(アジア女性舞台芸術)会議の中で続けるのは興味深いことだと思います。
-今回の作品がここから稽古が始まって、どういう舞台になるのかというとても楽しみです。
矢内原:始まる前はいつも恐怖ですね。(笑)やりたくない、逃げたいといつも思ってます(笑)ただ、始まると面白くなるんです。学生たちと日本の家族で稽古や発表をやったときも、日本の抱える問題というものを自分たちなりに理解してやっていたのでそれはそれでやってくうちに面白くなりました。お二人(レ・カインさんと安藤朋子さん)は表現者のプロフェッショナルなので面白くなると思います。そのいろんなプロフェッショナルな人たちが交差すると、ベトナムの視点、日本の視点から文化や差別の問題など考えられるし、見ているお客さんも見えない部分も見ることができて、それは面白い視点になると思います。そしてそのあと羊屋さんがトークでわかりやすいように話してくれると思っています。
-最後に、亜女会と共催(KACDFの一部)でプロジェクトを行う中で、二つ疑問に感じていることがあります。一つは、性の種類が増えてきている現代において、1980年代の如月(小春)さんの活動と概念的に近いようなものを、なぜ今このタイミングですることになったのか。もう一つは動き始めたタイミングが2012年という東日本大震災の後ですが、震災の影響があるのか、という点です。
矢内原:コレクティブなので、みんなやりたいことをやるというようにしています。私は差別を受けずにぬくぬくと育ったタイプで父方の祖母は国語の先生をしていて、女性の権利は守られるべきだといった家庭の中で育っておきながら、父は亭主関白みたいな人ですが父は祖母には逆らえないですから、そんな中で育ってきた私の考え方としては、よくみんな女性は大変だとか言いますが、私は全然そんなこと思っていなくて。別に女性だから大変だろうとは思ってないです。男性でも女性的なところはあるし、女性でも男性的なところはあるし、今や性別は男女にくくれません。性別そういったことは気にしないでみんなで考えて行けたらなぁというように思っています。ただそこで女性としたのは、羊屋さんや他の方々の強い意志もあったからです。彼女が芸術監督をしている「指輪ホテル」は女性だけのグループですし、出演しているのもほぼ女性。そして女性のことをメインにやっているので、Nibrollとはまた違うという、でもその違うことが面白いところだと思います。
まあ結局のところいいんじゃない?って感じで。男性とか集まってお茶とかします?あ、最近の若い子は、男子同士でスイーツを食べにいったりするらしいですね。まあお茶会ですし、なんとなくと言ったら失礼ですけど…なんとなく、周りが決めたからそれで良いかと….
-日本では「女性」を掲げた時に、男女平等や女性の社会的地位の向上といったある種の社会運動という印象になりがちだなと思います。そうすると敬遠してしまう人もいる気がしていました。
矢内原:アメリカのフェミニズム活動が影響していると思います。それとはまた違って、フェミニズムを挙げられると私的には辛いんですね。
女性会議という言葉を見て逃げるお客さんもいると思います。男性会議ってのないですもんね、誰か作ればいいのに(笑)ネーミングに女性はいらないんじゃないか、という声もありました。でも、まぁ難しいですよねなんで今さら女性というのはつきまといますよね。
-アジアの舞台芸術界においては女性の関わる環境が整っていないなど、問題はあるのでしょうか。日本における亜女会とアジアにおける亜女会の持ちうる役割や必要性が異なると思いますがいかがでしょうか。
矢内原:国によってやることも違ってくると思います。ただ私は楽しい女子会風になっていけたらいいなぁと思います。中にはフェミニズムを訴えている人もいるのでそれぞれだとは思いますが。私個人としては、知らないところをみてそれをシェアしていけるようにすると、社会は少しずつ変わっていくのではないかなといった期待をこの団体には込めています。
なんで女性なのかと聞かれると、集まったのが女性が多かったということですかね、サポートメンバーの中には男性もいますが、如月(小春)さんや岸田理生さんといった方が抱えていた問題は無くならないと思うんです。歴史をみた時に日本だけで言っていると、いざそれが海外にいったらわかってもらえないんですね。日本だけの演劇のなかでいうと永井愛さんや渡辺えりさんが亡くなられた二人の意思を受け継いでやっています。女性の劇作家という立場をどう広めてシェアしていくのか未だに抱えている問題だと思うので、そこはやってはいきたいと思います。
ただ、先ほども言いましたが、個人的には女性の考え方が絶対だということは全くないです。会議のなかにはフェミニズム的な人もいるのでその考え方はおかしいとか言われますが、私は色々な考え方があって良いと思います。色々な考え方でシェアしていけると社会はもっと良くなっていくのではないかと。理想論ですけどね。理想を話し合う楽しい女子会。そう思ったら、そんな理想もあるんだって気軽な気持ちで聞いてもらえる。反論されてもそれが絶対ダメだとはならずに、それも一つの意見として受け止めるくらいのことをしないと演出家にはなれないし、表現する意味もないので、反論が絶対違うとも言えない。そこでどんな意見も柔軟にそんな考えもあるんだねと言えるようになるために、“女性”ってつけたのかなと思います。みんなに考え方がおかしいって言われますが、みんないろいろ偏っているのでコレクティブでいいかなと思います。会議ってついている以上、いろんな考え方がそこにあるし、いろんな参加の仕方があると思うので。
-そういった部分をお聞きすると柔らかな印象に感じますね。二つ目の質問ですが、2012年に動き始めたきっかけというのは…?
矢内原:妻有トリエンナーレですかね。Nibrollで2003年からずっと参加していて、羊屋さんの指輪ホテルも2007年からずっと参加していたのかな?それで両カンパニーがやるんだったら、その間をとって(アジア女性舞台芸術)会議をやるのもいいね、という話になりました。
-タイミング的にちょうどあったといった感じですね。
矢内原:そうですね。ただ、がっつりやるのではなくて細々と。参加できないプロジェクトもたくさんあるので、その時は遠くから見ることもあります。今は近畿大学で教えているということもあって、関西の活動は私と(エグリントン)みかさんでやるというようになりました。ただ私は東京にいることが多く毎週通って関西に来ているので、がっつり関西に居られる状態をつくれていないというのが現状です。仕事の主軸は東京なんです。この状態がもう5年は経ちますし、少しずつ関西に移せばいいのですが、それはやっぱり難しいところですね。
東京以外は、東京のように劇場がプロジェクトを進行していく状況がつくれてないんですよね。今年は探り探り大阪で稽古場を借りたりして、出来るプロジェクトからやろうとしています。
-この下町芸術祭は阪神淡路大震災から20年経った2015年に始めています。復興というキーワードだけではなく、改めてこの土地の文化や震災を経て残っているもの、震災があったからこそ生まれたものといったものを見直していかないといけないと思いました。次の20年を考えるためのプロジェクトとして芸術祭を始めようとなりました。
矢内原:重要だと思います。妻有トリエンナーレでは街でアートフェスティバルをすることで、普段全然人がこない街に夏の間何万人と来ることで冬を乗り越えられるという話を住人の方たちから聞きました。住人主体のレストランにアーティストがプロダクションで入って動かして行くこととか面白いなと思います。ただ本当にそこに生まれた人たち、居た人たちにどう協力してもらえるかということをやってるので妻有トリエンナーレは成功していますし、下町芸術祭も育つといいですね。
-祭自体がどんどんなくなってきているので、垣根を越えて、ボーダーを越えていける機会を作っていけるといいなと思います。
矢内原:ダンスとかパフォーマンスとかアートが入り混じっているということが面白いと思います。ただ、このシャッターの商店街はずっと直らないですね。昔ここに住んでいた子たちももうあまり来ないと言っていました。だからDANCE BOXのことも知らなかったりとか…。
-ここだけに限らず、この「下町芸術祭」が各地方都市にとって必要なツールみたいなものになればいいなと思います。アジア女性舞台芸術会議が立ち上がったのが震災の後といったことで何か関わりがあるのかなと思いました。
矢内原:震災は少なからずアーティストに影響していると思います。みんなでもっと話し合わないといけないとか、考え方を共有しないといけないとか、震災に関する作品を本当に作っていいのか。そういったことがきっかけの1つになったとは思います。その中で、もっと横のつながりをしっかりしないとただ作品をつくっているだけではダメだぞみたいなものは絶対あると思います。大事件が起こった時じゃないと人間気づかなかったりすることもありますし。それまで思っていた自分の作品作っておけばいいやみたいなのもは徐々に変わってきていて、それは今、この瞬間も変わってきているとは思います。
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アジア女性舞台芸術会議(矢内原美邦、レ・カイン、安藤朋子、羊屋白玉)
『悲劇のヒロイン』
日時:
〈朗読劇〉11月11日(土)14:00
〈トーク〉11月11日(土)14:30
@ふたば学舎(長田区二葉町7丁目1-18)
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