2017.11.17
【K-ACDF】セレノグラフィカ インタビュー
INTERVIEW2017.11.17
【K-ACDF】セレノグラフィカ インタビュー
INTERVIEW
2017年2月に初演された『とこしえに』。小ホールで上演されたこの作品を、今回は新長田に所在する古民家「旧K邸」でリメイク、『とこしえに〜新長田の家で〜』として上演します。今年で20周年を迎えるセレノグラフィカ。夫婦漫才のようなかけあいの二人から、今回なぜこのタイトルにしたのか、20年を迎える今どのような心境でこの場に立つのか、など魅力たっぷりにお話を伺うことができました。ぜひご覧ください。
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-今回セレノグラフィカが新長田の古民家でされるということをお聞きしてそれをすごく楽しみだなと思って。色々と楽しみポイントがありながら…
隅地:楽しみポイント!いい言葉ですね。
阿比留:いい言葉!
-ありがとうございます(笑)『とこしえに』は以前ホールでされたんですよね。でも今回は「日常の匂いがする場所で」ってことでだいぶ雰囲気も違っているかと思います。現時点でどんな感じでどういう風なイメージなんでしょうか。
隅地:今日で二回目だったんですけど、前回の時はまだ皆さんがお掃除をしてくださる前で家具がそのまま残ってたりして、「うわぁ、ここでやるんだ〜」という感じでした。でも家具類も片付いていた今日は、割と見通しがいいな、視界が結構広々としているなって思いました。思っていたよりもずっと広くアクティングが取れるんだなぁっていうことは感じましたね。広い!と思いました。
阿比留:この前見た時は、寝てるとか死んでるとかって印象だったんですよ。けど、今日は掃除してもらったことで家が蘇って、今からちょっといろんな風に息を吹き返していくぞ!みたいな準備をしている雰囲気がありました。なんか新しい空間になるんじゃないかなってイメージ。逆に言うと、僕たちがいろんなことを想像してあそこの空間を活用できる状態になったなと思ってて。
隅地:最初あそこに入られた時にチラシが落ちていたそうで、それが15年くらい前のものだったそうで。もしかしたら、平成の初頭くらいまではKさんのご一家が住まれていて、そこから10数年、そしてまたこのパフォーマンスの期間が終わったら手を入れられて。もう一度ここに住む人がきっといらっしゃるだろうということで、休火山的な期間なのかなと思います。なんかそういう時にそのお家に上がらせていただいてパフォーマンスできるっていうのはすごい特別なことで嬉しいことですよね、本当に。
阿比留:古民家のこけら落としのようなイメージもちょっとしますね(笑)そう考えると面白いですよね。
隅地:初演は済んでいるんですけど、もともとの作品の状態に合わせてあそこを“こう”していくんじゃなくて、“あそこで踊る”っていうことの様に作品をリメイクしていきたいなと思ってます。
-場所が変わってリメイクをする時っていうのは、場所との会話みたいなことはあったりしますか。
隅地:対話、ありますよね。
阿比留:なんだか今回は、場所性っていうのがすごく強いと思うんですよね。だからかえって劇場で踊る時の様に踊るとそれが全く効果がなくなるっていうことがあって。ただそこに立ってたり座ってるだけでも十分、その方がかえって伝えたいことが伝わったりするのではないかなといつも思います。
隅地:初演の会場というのは音楽用の小ホールだったんですけど、当然そこは劇場空間だから情報が整備されてますよね。全てニュートラルにしている所へ必要なことを置いていって作るという感じでした。だから箱型の中に入って扉が付いてて出入りできるっていうものを作ったんですよね。でも今日会場に行ってみたら、「あ!あそこで私たちがスタッフの方に手間をかけてもらって作ってもらったような、あの欲しかった物があるな!」っていう感じがしました。襖を開けたり閉めたりして、興奮しました。
-見ている側からしても、本当に住んでた家だなあと思わせるような何かがあったら、それも込みで見てしまうようなところもありますよね。でも見ている一人一人のイメージや思い出って違うから、きっと読み込み方も何通りも出来るんだろうと思います。
隅地:呼び覚まされるものが違うでしょうね。重なる部分も当然あるでしょうけど。
-そこにそうやってダンスで今生きて動いている方がいるっていうことで作品性というものが何層にか重なって自分の方にやってくる感じが、私はとても興味深いなと思ったりするんですよね。
阿比留:劇場で上演したことをここに持ってくるという感覚より、「あの劇場で二人で踊って、次はこの家に来てまた踊ったるわ!」みたいな。そういう風に道付けるというか、自分たちの中でそうした感じにした方が作品の根本的な部分は失わずに行くのかなと思います。「何や知らんけど新長田の家に来てみたら何かようわからんけど踊ってみたり何かしてみたりしてはるわ。この二人は次どこ行きはるんやろ?」みたいな感じやなって言ってたんですね。そういう考え方はあんまりしたことなかったから面白いかなあと思っていて。
やってることや踊ったりしていることはそんなに変わらないけど、「この家でこの人らはどうやっていつも暮らしてるんやろか?」っていう風な感覚は少ししていて。今回のこの作品はだから面白いなぁって思ってますし、本当に良い機会を頂いたなって思ってますけど、最初は「まさかこの家で?!」って不思議に思いましたよね。しかも隣で隅地さんは「ここでやりたい」って言う(笑)最初からピンときたって言ってたから「あ、そうですか。」って。何かそういうチャレンジもいいかもなぁ。なんて思いつつ…。
-今年はセレノさんにとってアニバーサリーイヤーだと?
隅地:そうですね、20周年の年なので。
-何か今までを振り返ってといいますか。。。
阿比留:長いか短いかって言われたら、あんまり考えたことはないですけど…常に解散の危機やね(笑)
隅地:だったし。割とやることが変遷してきているので、そういうのもあったしね。本当に取っ組み合いみたいな事しかしてなかった時期があったりとか、お尻触ってどつくような漫才みたいなものとかやって。
阿比留:ダンスボックスとは一緒に歩いてきてる感じというか…歩みを見てくれている人たちが多い。一応その時々に色んな意見を伺ったりするんですけど、知ってくれてる人は「昔こんなんやってはったな」みたいな感じ。例えば、ぼりちゃん(ダンスボックススタッフ・横堀)とかなら「昔こんなんやったな〜」とか全部知ってくれてる。それはそれで見え方が違うだろうなぁっていうか。
(横堀)何かガムテープでぐるぐる巻きとかなかったですか?
阿比留:あったあった、色々やってましたね。茉歩さんが水着着てトドの昼寝をしてたり(笑)
隅地:家族の系譜っていうのは深い言葉だなっていうか、味わいのある、強い言葉だな〜っと思っていて。私たちは男と女でやってますけど、これは私がですけど、正直、本当の恋人とか夫婦みたいに作品を見られることに抵抗があったんですよね。男女は男女なんですが、できればそう見えない様にというか、色々な間柄に見えたらいいのかな〜って。別に「親子」でも構わないし「兄妹」でも構わないし。昔見てくれて人が言ってたんですけど、人間でもなくって“虫のつがい”とかでも良いよね〜ってのはありますよね。それが今回あえて家族のっていう事で…。
阿比留:まぁなんか一周したんよね。「別に男女に見られても良いや」みたいな。
隅地:たしかに。すごく抵抗があった時期から今はそんなにないっていう。そう見えたら見えたで有りっていう風に思うようにはなりましたね。20年が経っててというのがあるかな。
実生活ではまったく夫婦じゃないですけど、共に過ごす時間もすごい長いし、ある意味夫婦よりも…夫婦っていうのをどう定義するかっていうのもものすごく難しいし、一つとして同じ夫婦はないはずなんですけど。でもあるところでは夫婦よりもっと夫婦っぽいことがあるかもしれないって思ったりします。もし仮に阿比留さんに奥さんが居たとして、私はその奥さんの知ってる部分とは違う阿比留さんをやっぱり知ってるよねっていう。お互いでしょうけど。
-その辺りも翁と嫗になるっていうんですかね。
隅地:本当にそうですね。
阿比留:なんかね、「もう20年経ったら、共白髪のダンサーになるか!」とか言うてたりするんですよね。それでまた何かができればいいなぁと思うけど。
隅地:詳しくは知らなくてお恥ずかしいんですけど、「万歳楽」ってないですか?本当にお爺さんとお婆さんの格好で踊るっていう。あれがこう、世の中のずっととこしえに続くような事を寿ぐ(ことほぐ)っていうか予祝するっていうか。それをお爺さんとお婆さんがするんだなっていう。
阿比留:なんか目の前のことを一生懸命やってきた20年やったな(笑)
隅地:まあどなたもそうで、私たちが特別っていう事は全然ないと思いますけどね。
阿比留:ありがたい時期に恵まれてたって事もあるけどな。
隅地:それはどういう?
阿比留:DANCE BOXのようなダンス専門のアソシエーションが立ち上がった時期にコンテンポラリーダンスに出会い始めたので、一緒にタッグをやってきてる感があるから支えにもなってるわけですよね。やっぱそういうのがないと…一人では走れない。
隅地:ベタっとしているわけじゃないけど、仲間がいるっていいですよね。
阿比留:そうそうそうそう。
-昔の大家族の時代とかだったら、家族の中でもみんながそんなにベタッとせずに。一番上と末っ子なんてね、それなりに遠いけど一緒みたいな。そういう大きな人の繋がりって段々少なくなってきてるけど、最初DANCE BOXに来た頃なんかは、そういう風なことをすごく感じて。
隅地:それはそうですよね。私たちから見ても家族的ですからね。別に誰がお母ちゃんでお父ちゃんでとかそういう役割があるわけじゃないけど、その醸し出すものがある家族だなっていうね。例えば今回でも一緒にこの舞台を作ってくださる人とは、仮に期間限定であったとしてもその期間はやっぱりそういう関係性として家族のようになって一つのものを創っていくということが醍醐味でもありますよね。手間がかかることだと思うんですよね。手間がかかることの方が良いと思いますね。
阿比留:そやね。お父さんやお母さんに、「そこで好きなことをやってええよ」って言ってもらってるようなもんだから。今回の家での上演っていうのは見たことがないから、どういう風なものになるのか?それはそれで楽しみですよね。何かパフォーマンスをやってるのを見たことがあるお家で、自分たちがそこに入って上演するっていうのとはまた全然雰囲気が違うじゃないですか。一切やったことのない場所で立ち上げるって、どこまで何が立ち上げれるのか、みたいな。
隅地:この場に馴染むことと、馴染みようのないことと、両方があればいいかなっていう気がしますね。その間にはグラデーションがあるとは思いますけど。
阿比留:そこに住んでいるかのように見えて、でも何か違うみたいな感じとか。「ほんまは二人泥棒ちゃうか?」「ここに今日だけ来てるんちゃうか?」みたいな…面白いよね。
-多分お客さんとの物理的な距離感とか、随分イレギュラーな感じになったりするかなって思ったりするんですが。
隅地:そうですね。どなたがおられてどんな様子でご覧下さっているか分かりますからね。例えば三日間やったとしても、その日どういうようなお顔ぶれの方が来てくださってるかによって…それこそ本当にちっちゃい子がいるのかいないのか、その子がどういう子なのかっていう事によっても空気感は違いますよね。客席でそういう人たちが作る気配、先ほど仰っていた気配のハーモニーみたいなんが出来上がるし、それがこう上演中に色々変化していくわけですよね、お互いにね。だから誰がいるのかっていう事によって違いますよね。それでも距離があったり客席が暗くなったりすると、それはそれで一定の何かが保たれる感じはあるんですけど、旧K邸ではちゃんと触れるところに(お客さんは)座っていると思うので、同じ地続きで「同じ空間・同じ部屋にいて」ってことなんよね。
阿比留:踊っているのを観せるって感覚よりは、なんていうかいつでも踊るのをやめて、お客さまに話しかけれるっていうスタンスというか。そういう舞台の場にいつも居たいなって思うんですよね。観てって言うよりは「なんかそこに踊ってはる人がおる」「どんな感じ?」みたいな。「ちょっと踊ってみない?」みたいな事を言っているぐらいの感覚でお客さまと対話してる感じがいつもいいなあって。そうするとお客さまって面白いもので、なんかグッと興味を持ってこっちに入ってきてくれはったりすることが多いし、感覚としてはあります。
隅地:そういうこともあると同時に、ものすごくそばにいて動いてるのにすっごく遠い様なモノであるっていう瞬間も私はあったらいいなっていう派なんですね。お客さんとの距離みたいなものも、いろいろ離れたり近づいたりっていう…起伏って言うんですかね?なんかそう言うのがある方が面白いだろうなぁって思うんですよね。
阿比留:なんか「覗き込んで見ないと見えへん」というのと「そう覗き込んで見なくてもそこに存在はある」っていうか。例えば部屋の奥に入っていくっていうことだけでも何かを感じると思うし。劇場の袖から出入りするのと、家のどこかの部屋に帰っていくのとはだいぶ印象が変わるだろうし、そういう意味では家には意味がたくさん付くので怖いと思いますね。さらに実際家族が住んでいたからねえ…。
隅地:ある人の実際の御宅だもんね。
阿比留:そうそう、Kさんの御宅ですもんね。あれ、いいタイトルですもんね、「旧K邸」って。すっごいミステリアス。
-あとやっぱり「とこしえに」っていうのはすごく言葉としても気になっていますね。家族の系譜が深いというのとともに「とこしえに」っていうのがまた深い言葉で、すごく興味深いし面白いなと思いながら本番を楽しみにしています。
隅地:これちょっと秘話があって。私は最初「とこしえ」っていうタイトルにしようって言ったんですよ。そしたら阿比留さんからダメが入って。「とこしえかー」「それではGOできん〜」って結構二人でグニャグニャ溜まってたんですよね。そしたら阿比留さんが「とこしえ“に”って言うのはどう?」って言ってくれて。“に”って入るだけで確かに言葉に運動性が出てくる、「とこしえ」というのと「とこしえに」って言うのは、確かに違うねって言って。
阿比留:たまたまですけど。でも「とこしえ」って言葉が出てくる前に「永遠」とか「永久」とかのことを話していて。要するに自分達が20年ずっとやってきて、じゃあこの先を考えるって言った時、それは続けていくことだなってなったんですよ。20年続けてきたのも大概なんですけど、やっぱりそれは何か永遠性というか永久性っていうのがあるっていう事をこの作品に取り組む前に話し合っていて。でまあ、隅地さんの方が「永久」とか「永遠」って言葉に何があるんだろう、って。
隅地:長嶋茂雄が現役引退する時に「巨人軍は永遠に不滅です!」って言ったのを「永久」に変えたかなんかのエピソードがあるんですよね。で、「えいえんに」っていうのは「とわに」じゃないですか。「とわに」っていう方がやっぱり感情的なんですよ。「とこしえに」の方が人の気持ちはそれはそれとして淡々と続くっていう。「なんか感覚としてはそっちよね?」って「とこしえ」を選択しました。
阿比留:(「とわに」を使うと)メルヘンというかね。ロマンチックっていうかね。
隅地:誓おうが誓うまいが続くんだみたいなのは「とこしえに」の方ですよね。
阿比留:「とわに」はちょっと恥ずかしいな〜って(隅地)茉歩さんに言ってて。でも「とこしえに」ってどういう意味かな〜と思って調べてみたりして、なんかいい言葉だと。
-「とこしえに」に向かうというところで、もう一つ気になった事というか。固く言うと高齢化社会になっていくじゃないですか。年をとる事が輝くのか、すごく希望があるなぁと常々思っていて。年をとって輝くっていうのは若返るということとはまた違って何かあるはずだっていう気もすごくしていて。なのでセレノのお2人がまた次の20年、とこしえに向かうこの先の一段みたいなところを教えていただきたいです。
阿比留:なんかあんまりいい言葉は浮かばないんですけど、うーん…目標?目標ですけど、僕自身は若い人が逆立ちしても踊れない踊りをしたいなと思ったりしますよね。踊り手としてはね。それは別に肉体的な部分、体力的な部分としては落ちていくわけですけど、表現面や本当の意味での身体操作の技法・技量みたいなものは、年齢を重ねて身体を知っていくことやな〜と最近すごく感じていて。今の年齢になったからこそ、昔出来なかったことができているっていう感覚も確かにあるんですね。僕が師事していた神澤和夫がお年を取っているんですけど、振り付けで踊られるじゃないですか。それがずっと出来ないわけですよ。見ててすごいってことは分かるんです、ああいう風に踊りたいって思ってるのにできないんです、20代、30代の頃は。でも今は、できてるとは言わないんですけどちょっとだけ近づけたかなって思う時間がもてるようになったんですよね。それはなんか良い経験をさせてもらえたので、やっぱり年をとればとるほど踊りには味わいも深みも出てきてっていう風になれたら良いなぁと、踊り手として一応思ってるんですけど。
隅地:まあそうだね。本当に言って下さったみたいに高齢化社会まっしぐらじゃないですか。でもだからよくアンチエイジングとかっていうようなことはもう何年も何年も叫ばれ続けてるけども、別にそんなにアンチする必要もないなぁっていうか、健康が続くとかって言うのはそれはそれで素晴らしいことだし良いんだけども、老いていくということに対して嘘をつくことは出来ないなあっていう気もするし。もちろん色んなことに直面しますよね。じゃあ10年前と同じようにいくのか、5年前と同じようなことはできるのかって。でも阿比留さんが言ったことと同じだけど、当然私たちが逆立ちしてもできない若々しさからくる輝きというものもあって、でもまた違うものもやっぱりあることは豊かなことだろうと思うので、そこをやれればいいなと思いますよね。
阿比留:だからこのジャンルが良いというか強みかなと思いますよね。別に他のダンスを否定してませんけど、やっぱりすっごい寿命が短いというか、踊り手にとっていつか現役を引退して後進の育成とかにってなってしまうけれども、こういうコンテンポラリーダンスみたいなものっていうのはそこを越えていける可能性が特に高いから。「あの人はいつの間にかとうとう50年経ったで」みたいな、何かみんなが根負けるような(笑)そんな感じになりたいですよね。
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セレノグラフィカ『とこしえに〜新長田の家で〜』
2017年11月18日(土) 16:00 / 19:00、19日(日) 16:00
会場:旧K邸(神戸市長田区駒ヶ林町4丁目3-10)
料金:一般前売 ¥1,500、長田区民 ¥1,000、子ども ¥500
今年で結成20周年を迎えるセレノグラフィカ。男女のデュエットというあり方を追求してきた二人は、翁(おきな)と嫗(おうな)になるまで共に踊り続けると腹が据わったと言う。そんな二人から問いかけです。「なにをもって家族とするのでしょうか」不在の時間が長きにわたって流れていた古民家で、静かに編まれる男女の時間。そこに立ち上がる光景は、かつて存在した、もしくは現在の私の家族の姿かもしれません。
ご予約・詳細はこちらから。
https://kacdf2017.wixsite.com/2017/events/serenogurafika