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日韓協働制作「Darkness Poomba-新長田.verへ向けたクリエーションの今」キムジェドク×パクウォン×横堀ふみ | BLOG | NPO DANCE BOX

2017.1.30

日韓協働制作「Darkness Poomba-新長田.verへ向けたクリエーションの今」キムジェドク×パクウォン×横堀ふみ

INTERVIEW

DANCE BOX Resident Program 2016として今回は韓国から振付家のキムジェドク氏を招聘しました。アーティストインレジデンスとして、2017年1月〜2月にかけて約1ヶ月間を新長田に滞在し、国内ダンス留学@神戸5期生をダンサーとして、2月4日、5日に成果上演を行います。現在、そのクリエーションの最中ですが、上演回数100回を超えるDarkness Poombaのこと、また、音楽のことを伺いました。作品の中でも重要な役割を担っている音楽コラボレーターのパクウォン氏とプログラムディレクターの横堀ふみとの鼎談です。ぜひご覧ください。

横堀:今回の滞在制作公演の企画意図について、長い前置きのようになりますが、お話させて下さい。現在は日韓問題が再び顕在化している状況です。そのような中、劇場という、<個人>というもっともミニマムな単位を基点に、協働する、出会う、見るといったことを“身体”で経験することができる場所において、キム・ジェドクさんの作品「Dakness Poomba」を身体でもって経験できる今回の機会はとても貴重なことだと考えています。現在は、この作品を、ここ新長田ならではの立ち上げ方がどうできるのか、ともに協働しながら、私たちならではの出会い方のあり方、協働のあり方を探っている最中です。

今回の作品への質問に入る前に、この劇場が位置する新長田についてお話させて下さい。

この劇場では、ダンスボックスの主催事業を行っているだけではなく、地域の方々にも広くつかって頂けるよう開いています。これまで、韓国では、北をルーツとされる方々、南をルーツとされる方々によって使っていただいたり、ベトナムでは、教会に集われている方々、お寺の方の方々、ミャンマーの方がふらっと劇場に遊びに来られたりする場になっています。新長田という場では、日常から既にいろんな言語での歌が歌われ、踊りがあって、芸能や文化という面においては、豊かな場所ではないかと思います。

一つの表現を地道に追求し続ける道もあるだろうと思いますが、様々な芸術、芸能や文化が出会い、出会えばもちろん摩擦もあるわけですが、それでも出会い続けていく場をつくりたいと思います。そのことで、新たな新長田ならではの文化が生まれてくれば、非常に面白いことだと思います。

その中で、今回、パクウォンさんに、「Dakness Poomba」の音楽コラボレーターとして、お願いしました。パクウォンさんは、韓国の慶尚南道昌寧(チャンニョン)をルーツとされる、在日コリアンでいらっしゃいます。dBとはもう長くお付き合いさせて頂いています。

今回「Dakness Poomba」の音楽コラボレーターとしてお願いしたのは、日本・韓国それぞれの場所がルーツでもあるということ、と同時に、韓国とは異なった在日コリアン独自の文化の育み方があるなかで、「Dakness Poomba」と“この場(ArtTheater dB Kobe)”を<繋ぐ存在>であり、「Dakness Poomba」がPoombaを再解釈した作品において、この場で新長田バージョンとしてつくり直す際に、ウォンさんが必要だと私は考えました。

長い前置きはここまでにして、今日のインタビューは特に音楽の面を中心に伺っていきたいと思います。

今回この「プンバ(乞食歌)※1」をテキストにしてつくられたということなのですが、普段、韓国ではよく歌われているものなのでしょうか?

 

キム ジェドク:今の時代では、あまり日常的に歌われるものではありません。

横堀:いつ頃、歌われていたものなんでしょうか?

キム:私は「昔」として認識していますが、それがいつの時代かというところまでは分かりません。「プンバ(乞食歌)」は乞食について唄われた歌ですが、同時に、現在においても芸を披露しながら物売りをする「プンバ」という人たちのことも意味します。太鼓を叩いたり、ハサミを持って長い飴の棒をカチャカチャと切ったりして販売する芸があって、さまざまな地方で活動している人たちがいるというのを聞いたことがあります。

横堀:その方々はもともと「乞食」でありながら、物売りの芸をしながら生計を立てている方なのでしょうか?

キム:今の方は、ほとんどそれを商売としてされていますね。今現在はそういう物乞いとしてやっている人はいないです。

横堀:どこかのお祭りに出向いてパフォーマンスしておられるのでしょうか。

趙恵美:サービスエリアなどでされています。

パク ウォン:露店とかね。

キム:都市では見ないですね。

横堀:このような芸能があるということは、今の若い人は知っているのでしょうか?

キム:私ぐらいの世代までは知っているだろうけれど、それより下になるとわからないのではないでしょうか。

横堀:ウォンさんは知っていましたか?

パク:知っていますよ。歌のほうの「プンバ」も知っていました。

横堀:どういう経緯で知られましたか?

パク:演奏活動を続けている中で知りました。

キム:多分、韓国の伝統音楽をする人たちは知っていることが多いでしょう。

横堀:(韓国の伝統音楽を)勉強する中で、その歌を勉強する機会があるということですね?

パク:そうですね、それだけを習ったことはないのですが、民謡を学んで歌っていたりすると、その中に出てきて知ったという感じです。

キム:今の大学の1〜2年生が知っているかといえば、それはわからないですね。

横堀:ジェドクさんは、なぜこの歌を作品にしようと思ったのですか?


キム:まず、韓国で若い振付家を対象としたコンクールのようなものがありまして、それは「カラー・オブ・ダンス」という企画で、最終的に一人が選ばれるのですが、私が選ばれました。いろんな教授たちと一緒に組んで進める企画なのですが、その時のテーマが、例えば「白」であったり、赤であったり、というように色が決まっていまして、私の時は「黒」だったんです。そして、ちょうど同時期に私がコンピューター音楽を始めた時期でもありました。当時シン・ヘチョルという音楽家がいて、その人のことが好きでした。その方はもう亡くなられていますが、いろんな試みを行い、韓国の歌謡に多大な影響を与えた人です。その人の音楽の中で“モノクラム(Monocrom)”というアルバムがあるのですが、高校1年生のときからその音楽が好きでずっと聞いていました。なかでも1番と6番のトラックは韓国の音楽に色々と挑戦するような音楽でした。まだ自分が踊る前、どちらかというと音楽を聴く側だった頃、「オォープンバガ…」という歌があったんです。

横堀:なるほど、その歌と「カラー・オブ・ダンス」の企画が繋がったんですね。

キム:はい、その歌を知った数年後です。自分の才能として出せるものは全て出そうと、じゃあ歌も歌えばいいし、曲も作ればいいし、と考えました。テクノ風に作ってみたりとか、逆にゆったりとバラードのようなかたちで作ってみたり、ブルースも…、またパンソリ※2をする人と一緒にロックのライブのように作ってみたりというような形で、やりたいことを全て試してみました。そうして自然と順にシークエンスが生まれました。最初はゆっくりと踊りが始まるようなシーンを作ってみて、じゃあ今度はパンソリの声が入ってきて、絵を描くようなシーンができて、そして最後はダイナミックに踊るシーンができて、というようなかたちで、自然と第1シーン・第2・第3とできました。

横堀:色々試したことが、かたちになっていったと。

キム:そうですね、そのときの経験が習慣づけられて、外国に行って何かものをつくるときも、そのように徐々に構成していきます。

横堀:全体の構成を予め想定してつくるのではなくて、1つのシーンができたらまた次へという感じでしょうか。では、それを編成していく時に意識したことはありますか?

キム:そのときはまだ若かったのでまだ意識したことというのはなかったです。

横堀:自由に…?

キム:そのときはとても自由でした!

横堀:ウォンさんはその作品(の動画)を見てどう思われましたか?

パク:そうですね、まだフル(=フルグレンス)のものは見ていないですし、動画で見たものと実際
に出演するダンサーさんが異なるので、また今回はバージョンも変わってきていますよね。きっと今回の公演は、今回のバージョンで作るしかなくて、僕はこれまで培ってきたものをそこにぶつけて、何か生まれてくるもので新たなものをつくることになるんじゃないかなあという感じでしょうか。楽器も違いますからね…(元は)ドラムがあって、ギター、ベースなので。僕がやっているチャング※3とはまったく違う…音の領域がちがうので。

横堀:ジェドクさんは1週間のダンサーとのリハーサルを終えたところで、今回の作品にむけて音楽の面ではどのようにお考えですか?

キム:韓国で自分のカンパニーのダンサーたちと共に作業する場合は、彼らの筋肉的なバランスに合わせて音楽も迫力あるものに構成したりします。今回に関しては、やはり女性のダンサーも多くいたりするので、そんなに激しい音ではないんじゃないかと思っています。激しいアクションよりも少しソフトなものになりそうですね。

横堀:私はこの作品が、終盤にむけて大きく盛り上がっていくところが特徴的だなと思っていました。この「プンバ(乞食歌)」と「盛り上がり」の繋がりについてはどのように考えておられるのでしょうか?

キム:「乞食歌」と「盛り上がり」が関連性を持っているわけではないです。最後の盛り上がりに「プンバ」というテーマを置いているわけではないのです。公演によって最後の部分を強くデザインするのか、弱くデザインするのかを変えています。

この「Darkness Poomba」という作品の公演は100回を超えているのですが、去年ちょうどその100回を超えたときに“何故このように構成したのか”というのを、自分で逆に探してみました。そのとき思ったのは“満たされないから満たされようと頑張る、だけどすればするほど(頑張れば頑張るほど)満たされない”というところに何かテーマがあるんじゃないかなというふうに感じました。何かを求めていくのだけれど、追えど追えど…っていうところに、(作品の)ダイナミックさが現れているんじゃないかと思います。これを韓国では「恨(ハン)」と言います。すごく韓国的表現でよく使われていますが、日本語で書くと「恨(うらみ)」になってしまうんですね。でも恨んでいるのではなくて、“どうしようもないこと”それが“ハン”なんです。思えど駄目、どうあがいても駄目…だけど諦めきれず向かうこと。最後の部分をダイナミックに大きく表現したいときは、“恨(ハン)”を重要視しています。

横堀:“恨(ハン)”の感情を興味深く思っているんですが、今回のダンサーである五期生…日本人のダンサーにそのような感情は彼らの中から立ち上がってくるでしょうか?

キム:論理的には感じさせることはできると思います。韓国人に関しては、“恨(ハン)”をテーマにした映画であったりとか、テレビであったりとか、そういったものを見て育っているので。日本での場合はそれを論理的に、言葉をチョイスして伝えていくことになるでしょう。

横堀:ウォンさんは“恨(ハン)”の感情についていかがですか?

パク:一言で現すのが難しいですね。僕らはその日本の文化の中で育って、本国(韓国)の人と感覚が違うんですね。かといって日本人と一緒かといったらそうでもなくて、境遇でいうと“恨(ハン)”なんですよね。違った意味での“恨”だと思います。僕らって歴史に取り残された人達なんですよね。韓国人の中でも僕らの存在を知らない方も多いですから。だから、僕らは僕らの独自のものがあるとは思っています。日本の家庭を見てると違和感があったりするんでね。在日1世2世の人とか見ていてもそう感じます。言葉にできない何かがある…それなんでしょう。在日というバックボーンがあるから僕は韓国の音楽をやっているんであって、それがなければ、例えばドラムとかやっていたかもしれないですし。

横堀:ではこの流れで、ウォンさんが今の音楽をやられるようになった経緯について伺ってもいいですか?

パク:僕が高校生の頃、16歳くらいで韓国の風物プンムル・サムルノリの音楽に出会って、1987年の東京サントリーホールでやったサムルノリ※4のコンサートのビデオを見て衝撃を受けました。本格的にやり始めたのは1995年ですね、22年前。韓国からサムルノリの先生を招聘して教えてもらったことが学びの最初でしたね。それまではビデオ見て、見様見真似で、友達同士で練習して、その後、阪神淡路大震災があって、家が潰れて、家族と一緒に学校で寝泊まりをしていたんですが、週末に集まれる仲間で楽器持って、学校を延々と回っていました。朝から、日が暮れるまで。新長田一帯は焼け野原で、その中を演奏しながらずっと回っていたんですよ。ここはね、在日韓国人が多いので、だから私たちの演奏を見て元気出たわっていう声がいっぱい聞けました。それをずっと、週末の時間があるときに月1〜2回のペースで続けていたんですね。

その後、映画に出たりとか、いろんな場で演奏する機会があったりして、その時は仕事もやっていました。建築設計をやっていました。震災もあり家を建てる仕事は非常に重要な時期だったのですが、家を建てる作業はすごく時間がかかることでした。でも、音楽はその瞬間に届く…一人やその建てる家の家族だけじゃなく、見ている何百人の人に同時に伝えられることに感動しました。それでこの道に入りました。それがちょうど22年前。その後は日本と韓国を行ったり来たりして、音楽の勉強をしました。

横堀:ジェドクさんはダンスをしながら、コンピューター音楽をつくり始めたと聞きましたが、どのような経緯で音楽もつくられていたのでしょうか?

キム:幼い頃から、テレビの音楽などを聞いて踊ったりしていたのですが、中学校のときに、一緒に踊っていた仲間たちとは別に楽器をする友達もいたんです。そういうメンバーでバンドを組んだりもしました。僕のお父さんは空手の師範の免許を持っていて、お母さんは歌手でした。

中学校の時に、芸術が好きだから、お母さんに「それなら作曲もしっかり習っておきなさい」って言われて、その時から少しずつ勉強し始めました。で、高校の時に踊りを習い始め、大学では4年間踊りに取り組みましたが、踊りをつくる過程で「ああ、曲も作ってしまえばいいんじゃないか」と思って、大学4年の時に音楽の学校に飛び込んだんです。

その音楽を学び始めた時は、派手になんでも目立つものを入れて作れば、という思考だったんですが、やればやるほど繊細な音であったり、必要な音っていうのが見えてきました。同時に、踊りも同じようにムーブメントの一つ一つをつくり、音と出会わせていきました。自分の必要な振りに対して、この音が必要であるなっていうかたちで自然とつくるようになりました。

自分としては、音を作ることも、振りを作ることも感覚は一緒です。

横堀:面白いですね、ますますジェドクさんとパクウォンさんのお二人の今回の出会いがより楽しみになってきました。

キム:今日初めて一緒に作業しました。ダンスを通しながら、横で「こんなことしてみて」と伝えウォンさんが演奏した時、すごく良かったんです。自分自身も楽しみにしています。

1回通しを見たなかで、パッと感じたことをおっしゃった中で、もうほぼ70%はいいなと思いました。いくら考えても出ないときは出ないのですが、パッと1回みたときに偶然にも出るときってありますよね?今日はそれがすごいビンゴだった。瞬間的なフィーリングがすごく良かったです。

初めにパクウォンさんを紹介された時は、「Darkness Poomba」はロックンロールなところがあるのに、それをどうしろと言っているんだと思ったんだけど(笑)。新長田に来て、今日こうやって出会って作業をしたときに、また新しい「Darkness Poomba」が生まれているんじゃないかなと思っています。

横堀:もっと聞きたいところですが、これからの協働作業の展開を楽しみにしています。どうもありがとうございました!

キム/パク:ありがとうございました。

 

※1 プンバ(乞食歌)=乞食たちが門の前で芸をして金品をもらおうと物乞いをしたときに、鳴らしていた息の音を表現したもので、乞食のことを表す。このような乞食は、日本語でいう門付け芸人のことで、韓国語では각설이という。現代でも祭りや市場で行われている。

 

※2 パンソリ パンソリは一人の歌い手が鼓手(太鼓を打つ人)の拍子に合わせて、チャン(歌)、アニリ(台詞)、ノルムセ(身振り)を織り混ぜながら口演する一種のソロオペラである。「パンソリ」とは、「パン(広場))と「ソリ(歌)」の合成語である。「ソリ」は「音楽」、「パン」は「色んな人々が集まる所」または「状況と場面」という意味があり、パンソリとは「多くの聴衆が集まった遊びの場で歌う歌」という意味である。

 

※3 チャング チャング(장구)は、朝鮮半島の代表的な打楽器(太鼓)。日本の鼓を大きくしたような形状で、桐の木を削った胴に羊、馬、牛、犬などの革を張る。全体の大きさや使用する革は、演奏する曲のジャンルで異なる。左右の皮は音が異なり、左側は先端が丸いものがついているクングルチェという桴を使うか、平手で叩く。右側は竹でできた桴のヨルチェをしならせながら叩く。

 

※4 サムルノリ 朝鮮の伝統楽器であるケンガリ・チン・チャング・プクを用いた韓国の現代音楽。プンムルノリと呼ばれる農村地帯の伝統的な農楽をもとに、1978年に舞台芸術としてアレンジされたパーカッション・アンサンブルである。

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