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[対談]久保田テツ×国内ダンス留学5期生 | BLOG | NPO DANCE BOX

2017.3.14

[対談]久保田テツ×国内ダンス留学5期生

INTERVIEW

成果上演のクリエーション真っただ中の2月、映像メディアがご専門の久保田テツさんに5期生(池上たっくん、武井琴、山野邉明香)が “アート”や“コミュニケーション”の関係についてお話を聞かせていただきました。


武井 先日、(久保田)テツさんさんがナビゲーターを務めていらっしゃるアートエリアB1でのラボカフェの企画に、私たち5期生のメンバーが参加させていただき、「みること・からだであらわすこと、そのつながり」というタイトルで、“みる”ことを通じた身体表現の発端について一緒にお話しさせていただきました。とても興味深い体験でした。テツさんは現在、大阪音楽大学に勤務されていますが、普段はどのようなことをされているのですか?


久保田 音大には去年の4月から勤めています。それまで働いていた大阪大学でやっていたようなことを、音楽を介してやりたいということで呼ばれて。今はまだ、それをどう実現していけば良いか、手探りの状態です。


武井 大阪大学でされていたようなこととは何ですか?


久保田 大学教育の中では例えば工学部や医学部、文学部など専門の枠組みがありますが、その専門でやり続けいていた人たちが社会に出て、それぞれ違う分野の人たちと席を同じにした時に、言葉が通じないという危機的な状況が起こっているんです。大学院とか博士とかエリートだとなおさら起こりえる。要は、お互いが言っていることが専門的すぎて解らなかったり、相手が理解できないことを想像しないで専門的な用語を使っていたり。自分たちの領域で学んできた概念が、他の領域であたりまえのように通用すると思ってしまう。


武井 分野が違うと、理解し合うのは当然難しいですよね。


久保田 大阪大学は結構エリートを育てるところなので、その人たちが社会に出たときに社会を動かすわけじゃないですか。そうなったときに、全然言葉が通じないっていうのは結構恐ろしいですよね。今、実は政治にしろ、教育にしろ、ビジネスにしろ、色んなところでそういう問題点が出てきているんじゃないかということをそもそも言い出したのが、哲学者の鷲田清一さんです。


山野邉 朝日新聞の「折々のことば」の方ですよね。


久保田 そうです。鷲田さんは臨床哲学をずっと研究されていて、後に大阪大学の総長になられる方です。彼が2005年に大阪大学にコミュニケーションデザイン・センターを立ち上げました。それは、そういう専門的な人たちが教育の中で横断的に場所を一つにして、そう簡単に答えのでない問いに対してそれぞれの領域、専門家たちがお互い喧々諤々しながらその問いについて対話をするというコースだったんです。じゃあいったいその「問い」っていうものは何についてだったのかと言うと、鷲田さんが言ったひとつにアートがありました。

 

池上 なぜアートだったのですか?


久保田 単純に答えが一つじゃないからです。観た人や体験した人が何を受け止め、何に気を奪われ、何を見ていないのかということが、アートでは多様に起こります。そこが対話の題材にしやすかったんですね。僕はそのメンバーの一人として呼ばれて、映像という表現の中で大学院生に向けて授業を行っていました。映像を撮ってもらったり、既存の作品を見ながら、あなたは何を見ましたか?ということをやってきました。映像って原理的に「撮る」ことと「みる」ことをほぼ同時にやっています。みんなファインダーを覗きながら記録しますよね。つまり、記録者自身が見たものを撮って、それが再生されるという点では過去の自分を見ていることでもあり、その辺りが哲学として映像メディアというものが捉えられたり出来るんです。

 

池上 哲学と映像、専門的で難しいですね・・・。

 

久保田 それが今の時代は誰でもスマホでハイビジョン映像が撮れたり、身近なもので誰でも簡単に映像表現ができますからね。であれば、映像表現の機会を、大学という枠を飛び出して社会に開いていこう、関心のある人で集まって撮ってみて対話しよう、ということを大阪大学でやって来た次第です。現在は大阪音大で、それを音楽に置換えて実際に演奏会を実施したりワークショップ(WS)を開いたり対話をしたりしています。場を開く豊かさへの気づきを教育の中でプログラミングできたらいいなと。ちょっと複雑なことなんですけど(笑)。

 

山野邊 その目論みの効果というものはあらわれているのですか?

 

久保田 教育の効果ってはっきり言うのが正直難しくて。学生の成長を追うしかありませんから。でも、例えば震災の後にどうやって生きていけばいいのかという議論のある中で、対話やWSが評価されるような流れに少しずつ社会がなっている気がするので、そういう意味では大阪大学での実践は先駆的な試みとしてひとつのモデルにはなり得たのかなと思っています。

 

山野邊 言葉が通じない人たちが対話するのってすごく難しそうですね。

 

久保田 難しいよね(笑)でも、ダンスのWSをする時って、ダンスのプロになるためだけでなく、身体を動かしながら表現する豊かさや楽しさを知ってもらいたかったり、それによって自分はどう変わるのかとか、人の動きを見て何を感じたかとか、「ダンス」を軸にして今まで見ていなかったものや考えていなかったことに触れてみようっていうことはみんなやってるよね。だからあまり難しく考えずに、実は色んな領域の人がやっているのかなとは思いますね。

 

山野邊 今聞いていると、私たちが現在ぶつかっている壁の中にも、みんなの言語の違いや、表現の仕方の違いだったりすることってあるなあと思いました。

池上 僕は今回振付家として作品をつくっているんですが、やはり一人ひとりが何を見て、何を感じて踊っているかというのはそれぞれ違うと思うので、みんながどうやったら一つの作品に向かっていけるかと考えた時に、コミュニケーションが必要で重要だなと感じています。アートは答えが一つじゃないと仰られていたように、作品へ向かっていく方法は一つじゃないから、クリエーションを進める中で何を選択したり、どこで決断をするかということを日々模索しています。

 

久保田 僕がやっていたところでは、基本分かり合えないよねということ前提としていましたね。

 

武井 その言語の違う人たちが話す際、分かり合えなくて壁にぶつかった時、久保田さんはどうしているんですか?

 

久保田 もう、解るまで話そうとしますね。対話っていうものは絶対欠かすことができないです。でも、いくら時間をかけても解らないし、時々それによって人と人が分裂していくこともありますが、それも含めてチームの中でどう折り合いをつけていくかということは次のレベルとして話さざるを得ないことだと思います。対話を繰り返していると、解り合えないながらも「解り合えない」ということが解かる瞬間があり、それが解かればこのチームは次にどう動いたら良いかということが結構あって。だからしつこく対話を繰り返すことをやりますね。

 

武井 先日のラボカフェでは実際に映像を観ながら、見たものを身体で表現したり、それを敢えて言葉にしてみるということに挑戦していたのですが、私はずっと一緒に過ごしてきたダンサー達の視点が、それぞれ違っていたことにハッとさせられました。あすかりんはどこに意識を向けてどう動きをつくってた?

 

山野邊 私は動きの発動としては、最初の動きを感覚的に決めて、なんとなく自分にしっくりくるところを探します。そこから動きを発展させていく上で一番気をつけているのは、自分のエゴができるだけないようにするっていうことです。それが私の挑戦なんです(笑)

 

武井 すごい、、修行みたい(笑)

 

久保田 そのエゴっていうのは、例えば別の言葉にするとなんですか?

 

山野邊 頭で考えてから動いた動きと、身体がどこに行きたいのかをできるだけ感じながら動いた動きとは全然違いますよね。私は自分の気持ちよさとか頭で考えつくようなリズムとかで動くのは気持ち悪く感じるんです。それより、自分の頭の中で予期しないところに乗っかっていくのが好きなんだと思います。

 

久保田 予期していないものって、自分の中でどうやって育んだり修練していくんですか?

 

山野邊 訓練の方法はあると思っているのですが、まず、身体に従って動くというのが一つあると思います。例えば、山崎広太さんの練習方法で、約50分間一度も止まらずに身体のどこかをバウンスさせながら動き続けるというワークがあるのですが、このワークをやっていくと思ってもみなかったところがヒュッと出てきたり、逆にこの動きはさっき出てきたやつだなって思ったときはまた全然違うことをやってみるなど、動きを広げる訓練になると思います。どういう風にそれを育んでいくのかというのは、そういったことを意識してやり続けていくということかもしれないです。

 

久保田 なるほど、面白いですね。ちなみに僕は質問するほうが好きで、自分の話をするのがあまり得意ではないんです実は。訊く方が好きなんですね。なぜかというと、自分に自信がない、自分の中に確固たる自分というのがないんです。(笑)だからこそ、とにかくみんなの話を聞くことによって、その都度自分らしいものをちょっとずつ形作っていくっていうのかな。不確かなフィルターを通して残ったものが自分なんだろうって思っていて。そういう自分をゼロにした状態から何かを生み出そうとした時に、とにかくみんなに話を聞くということをしています。ダンスで何もないところから動きをつくっていこうとする時も、もしかしたらそういった感覚やあり方みたいなものが共通しているのかもしれないですね。例えば、たっくんは人に何かを表現する時に、こう見せたいとかってありますか?

池上 人間の身体ってここまで出来るんだっていうこととか、身体そのもののエネルギーによってこんなことが出来るんだという“身体が持つ可能性”が見ているお客さんに伝わって欲しいと思っています。あと、この前のラボカフェでの映像を身体で表現するという場合であれば、あの時は一回目勝負でしたが、もし2回目があったとしたら動きを発展するよりもっと違う方向に行ったかもしれない。なんというか、踊りにうつした時に新鮮な感覚を求めるというか、振りが出るタイミングとか間とかにもその新鮮さがつながっている気がして、そういう新鮮さを二回目には求めようとしていたかもしれないです。うーん、すみません、上手くまとまらない・・・(笑)

 

久保田 ごめんなさい、ダンスをやっている人にご自身の表現を言葉で答えろというのは、失礼な話かも・・。それよりも身体で表現する方がよりコミュニケーションしやすいというのが、やっぱりダンサーだと思う。でも、自分がやっていることに対して「自分は何でこれやってるんだろう?」っていう疑問を持ってみるのは悪いことではないと思う。自分を問うってことは、ダンサーでも哲学者でも、誰でも共通してやっていいことだと思うし、上手くまとまらなくても身体を言葉に置き換えてみる訓練はやっていってもいいはずです。

 

武井 最後にテツさんにお伺いしたいのですが、いま私たちが成果上演にむけてクリエーションを行っていく中で、壁にぶつかることも多くて。約8カ月間、毎日ともに過ごしてきた私達でも、たくさん話し合って分かり合おうとしても、どうしても分かり合えない時もあるんです。そういった状態にどのように立ち向かっていったらいいか何かアドバイスありますか?

 

久保田 いっぱいあるでー!!!

 

一同 おー!!(笑)

久保田 とにかく、その場から逃げないことだと思う。そういう一つの表現に向かう集団だったり、他者と何かを創造するという時は、とにかくそこから逃げないで、自分の現状をみんなに表明する。「こんな自分だけど、ごめん!もうちょっと付き合って!」っていう風に、何があっても去らないっていう姿勢を貫いていくことしかないのかも。「分かり合えないけど逃げないメンバー」っていう合意と覚悟が、次のステップに導いてくれるんじゃないかな。さっきも言ったけど、人は基本分かり合えないということを前提とすれば、しんどいけど、もう残念ながらそれしかない。ちなみに僕はしょっちゅう逃げるけどね。(笑)

 

武井 今の私たちにまさに役に立つお話。テツさん、今日は本当にありがとうございました。
一同 ありがとうございました。

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