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【K-ACDF】筒井潤インタビュー | BLOG | NPO DANCE BOX

2017.10.17

【K-ACDF】筒井潤インタビュー

INTERVIEW

2010年のとあるイベントがきっかけで始まったこのプロジェクト。

そして今、11月開催のアジコンに向けて、新長田に所在するディ・サービスへ赴きリサーチを行っています。おじいさん、おばあさんを通して見えてくる歴史や踊りの記憶とはいったい何なのか。果たしてそれは本当に見えるものなのか。。。まだまだリサーチ途中の10月初頭に、演出を手がける、dracom主宰の筒井潤さん(以下、略敬称)にお話を伺いました。

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− 人生初のインタビューです、宜しくお願いします率直に聞くのですが…いったい今何をされているのでしょうか?正直私は、筒井さんと横堀、米澤がおじいさん、おばあさんのところに行っているという情報しか知らないので、教えていただきたいです…。

筒井:「滲むライフ」という作品のリサーチとして、デイサービスに行っています。そこで、おじいさん、おばあさんと交流を持ち、そこから作品に何が必要なのか、あるいはもっと直接的に作品に関わってもらえる人はいないか、というのをリサーチしにいっています。

− どんな作品になるのでしょうか。

筒井:DANCE BOXプログラム・ディレクターの横堀さんが2010年に「コリアンデイ」という故郷の家のイベントに行かれたんですよね。その時のイベントの最後に韓国の民謡が流れきた瞬間、そこの皆さんが乱舞したという。はしゃいで踊っていたということが強く印象に残っていたそうで、おじいさんおばあさんの踊りそのものやそのモチベーションを作品化できないかというお話でした。それをやるに当たって演出家として以前「新長田のダンス事情」で関わらせてもらった“筒井潤”を誘ってくれたという経緯ですね。

− つまり「故郷の家」には韓国や、この辺りならベトナム、ミャンマーをルーツに持った方が多いということですか。

筒井:今は日本人の方も多いようですが、「故郷の家」の創設した方が韓国の方だったので、当初は在日コリアンの方が多かったようです。

− 今は韓国の方ばかりではないということなんですね。今の時点で何が見えているのでしょうか。乱舞している瞬間や空気感をもう一度見たいから、続けてやっているのでしょうか。

筒井:リサーチを始める前は、大勢は無理だったとしても、数人でそういった光景を舞台上でつくる、それをやるように促すというイメージを持っていました。が、実際は難しいかもしれない、ということも含めて、作品化していかないといけないなと現在は思っています。

− 今はおじいさん、おばあさんが踊っている様子を見ることは難しいという状況ですか。

筒井:はい。はじめの頃はそれを目的化していました。でも今はおっしゃられたように、“日本人もいる”という現状をいかに作品化できるか、も考えています。つまり当初の目的とはちょっと違った方向に今は向かっていますね。もちろん皆が踊る光景を作れたら幸せですが…。そうするための難しさも作品の中に入れられたらと思います。

− 私、お祭りが盛んな地方の出身なのですが、それに関して全く興味もないし、そこでされている“踊り”が私の身体には根付いていなくて。血としてはそこで生まれ育ってきているから、踊りのルーツとしてそこの地域なはずなのに自分では違うと思うんですよね。この地域で育ってきている人って、私と同じ感覚を、例えば音楽がなったから踊り出すということや踊り出せる音楽がないような日本人の感覚と近いのではないかと感じていて。だからこその疑問なんですが、今行っている故郷の家ではそういう、音がなったら踊り出すという光景は一瞬でもあったんですか?

 

筒井:まずこのプログラムを初めた頃は、韓国のおじいさん、おばあさんが民謡を聴いて踊り出すという光景は簡単にできちゃうと思っていたんですよね。ところが、同じコミュニティにいても、出来る人・出来ない人がいるんですよ。それは民族とか全然関係なくて、単に個人的なものだと思います。例えば「照れ」だとか。別の場所でもリサーチしたんですけど、みんな口を揃えて「踊らないよ」って言われたりして、まずそこで「あちゃー」ですよね(笑)個人差は普通にあるんですよ。

断固として踊らない方もいらっしゃる?

筒井:全然いますよ。そういう人も居るし、踊ってくれる人も幼い頃からずっと踊っているわけではないですし、故郷の家に通うようになってから踊るようになった方もいます。ぶっちゃけ言うと、単純に考えていたなという反省が日々ある(笑)

− 私たち側は常に舞台が側にあって、踊る環境が隣にあるので、例えば音楽が鳴ったら自然と踊ったり、演じたりするものだと思っているところがあるかもしれないですよね。“踊らない”という状態を目の当たりにすると…

筒井:確かに最初のモチベーションとしては、おじいさん、おばあさんが身体の動きだけじゃなくて、踊りだす理由も考えようとしたプロジェクトでした。ただ、その踊れない理由を聞くとそれぞれ意味があって、歴史的なことや、思想、環境などとも深く関わっていて。それらをも舞台の上でなんらかの形で見に来られた方々に伝えられたらと今は思っています。

 

− この新長田周辺は関西の中の“第2のコリアンタウン”とも言われています。宗教や歴史、教育も絡んでいますが、コリアンタウンだと言われる割には、2世、3世、4世…と続いていくに従って日本人的な考え方が高くなっていくと思うんです。私の友達にも在日三世の子が居て、彼女は確かに韓国式のお正月しかしたことがない、結婚式なども着物ではなくチョゴリを着ていくらしいんですよ。でも思想は何ら変わらず、日本人と言われる私たちと同じなんです。環境要因もあるし、当たり前のことなんですが、このまま進むと(韓国舞踊が鳴ったら踊り出してしまうような)歴史が変わっていく、薄れていく気がするんですよね。そういう在日と言われる方にこの作品がどう影響するか、意味を成していくと願いますか?

筒井:まず在日の方の話を聞いたところ、朝鮮半島の文化を受け継ごうという意志を持つ人もいれば、そうでない人も居る。それを目の当たりにして思ったことは、この企画が「伝承することが大切である」という考えに捕らわれないでいこうということ。現実をみる。今現時点をみるという作品にしたいです。

僕はドキュメンタリータッチな作品はあんまり創らないですけど、日頃から演出をする立場に立つ時に、僕の目を通してですけど、描写することに執着するということを心がけています。つまり、自分の思いを伝えることを優先順位として高い位置に置かないということです。実際にあるものをただただ映す。写真ほどのリアリティはないですし、台詞を日常の口語で全てを埋め尽くすわけではないですが、そういった要素を駆使してやることは描写であるとどこかで思っています。だから今回も描写に徹する。誰かが優れていて誰かが優れていないということにしない、そのために細心の注意を払っています。

− 筒井さんは故郷の家に本番までにあと3回行かれるんですよね。あと僅か3回…「描写する」という面でこれから見たいもの、まだ見れていないものなどはありますか。

筒井:あります、というか最近になって覚悟したのは「全ては見えない」。でもその全てが見えないという事実が明らかになった時に、だからこそ対応出来るメディアとしてあるのが芸術だと思うんですよね。ジャーナリズムがどこまでも調べて事実を一つずつ丁寧に確かめていくということ、だとすると、「全てを見る」ということは全ての在日の方にお話を聞かないといけないということになります。そんなのとても難しいですよね。この規模のプロジェクトでは尚更無理ですよ(笑)。その無理に対処する方法が今回は舞台芸術で、舞台で全ては見えないものを描写することなんだろうなぁと思っています。そしてその全ては見えないという不安を抱えながら上演することも大事だと思います。

− そうか、全ては見えない、なのか…深いです。。。でもだからこそ見えてくるものがありそうですよね。当日がますます楽しみになってきました。では、話がかなり飛ぶんですが(笑)筒井さんはもともと演劇の方ですよね?いつからされているんですか?

筒井:演劇の人ですね〜(笑)19才からしています。

(横堀)そんなに若い時から!

− なんでダンスの世界に入ってこられたのでしょうか。…言い方悪いですね、すみません。

筒井: 始め、ダンスのことは全然知らなかったんですが、なんかの雑誌でコンテンポラリーダンスの特集がされていて。どうやら今この世界が面白いことになっているらしい、と気にはしていました。と同時にちょうどその頃くらいに、自分が演劇の演出をしているなかで、言葉の言い回しや表情、間合いは演出できても、佇まいは演出できていないと思って、どうしたら身体のことを演出できるのかと悩んで時期で。その頃に見に行った何かの折込チラシでダンスのワークショップを知って、まず行ってみようと思ったのが最初ですね。それが岡登志子さんのワークショップだったんです。あの時は踊るってことではなくて、ただ綺麗な姿勢を作るっていうことに執着するワークショップでした。

− そこからどんどん色んなワークショップを受けるように?

筒井:いやまず、受けた方の公演を観に行っていないのはおかしいな〜と思って、Ensemble Sonne(岡登志子主宰)の公演を観に行きました。当時、演劇の全てを知っていたわけではないですが、公演を観て、身体と明かりと舞台の空間のこれだけでこんな時間が作れるのか!面白い!と衝撃を
受けました。一番心打たれたことが舞台上にセットがない(笑)でも全然これでいいやんと思えたんです。こんなシンプルな舞台で時間を満たせることが出来るんだという発見がありました。で、単純に興味を持ってどんどん受けに行くと。確か次に受けたのは伊藤キムさんのワークショップでした。

その中で僕の重要なターイングポイントになったのが、アイホールで実施された山下残ワークショプ&パフォーマンス発表公演の『耳うち』に参加したことです。実は、ワークショップを受けている最中から残さんに次の公演に出ませんかと誘っていただいたんですよ。それで公演に普通に出演することになりました。そのあともしばらく残さんの作品に出続けたんですよ。そこで残さんの演出、ならびにダンサーとの交流など、色んなことを経験しました。もちろん注目度は僕の名前やdracomなんかより残さんの公演のほうが高かったので、いっときは筒井潤は京都のダンサーやと思われてたくらいですよ(笑)

− ダンス公演の演出と演劇公演の演出の違いとかってやっぱりあるのでしょうか?例えば筒井さんが「演出してください」って言われた時のモチベーション?の違いとか。

筒井:ダンスをつくるという意識を具体的にもったのは、そう昔でもないですね。2012年『We Dance Kyoto』で、きたまりに女性ダンサー3人を相手に演出してくれとお願いされて。女性3人ってもう三人姉妹やなと(笑)。それをモチーフにして、彼女たちに動きだけで演出しました。演劇ともダンスとも言えない作品になったと思います。身体だけで本気でつくるというのはその時が初めてでした。

− すごく個人的な疑問になるのですが、ダンサーが舞台の上で喋ることが多くなってきたと思うんですよね。なんでなんだろう?と思ってしまうんですよ。演出としてストーリーの中で意味があって喋っているのは分かるんですが、ダンス作品の中でダンサーと言われている人たちが喋る必要があるのかなと疑問に思います。

筒井:それでも、その判断はあって良いなと思いますけどね。一時期、みんなが同時多発的に喋り出したんですよね。その時に面白いみたいなことになったんだけど、今、喋るのはもうええんちゃうかなという判断を持っている人も結構多くなっていると思うんですよ。ただその場合は喋ることに反動する意志を強く持って臨んで、言葉がなくても面白い、ということにしないと。言葉ってずるいんですよ、容易にお客さんとコミュニケーションが取れてしまうから。

− 考える余地がなくなるなと感じます、言葉がそのまま身体に来るというか。なんで喋っているんだろと思ってしまうんです。

筒井:その感覚、大事やと思いますよ。

− ダンス作品で喋っている光景を見て、演劇の方たちってどう思われるんでしょう。

筒井:演劇の方は案外そういったものは見てない気がするんですよ、残念ながら(笑)綺麗なコンテンポラリーダンスを見て、その都合が良いところを搾取している人もいると思う。

− 近年、某アイドルグループの舞台やライブでコンテンポラリーダンスを踊られていて。ファンとして一応「すごーい!」という声をあげるのですが、内心は違和感でしかなかったの思い出します(笑)

筒井:その違和感は正しいと思うのと同時に、こちら側が何をすべきかというと、利用されないものをつくるという覚悟を持つことが必要なんですよね。それでもすっごい難しくて!僕も何年か前から常々思っていることなんですけど。特に自分とは考え方が違う、具体的に言えば相反するイデオロギーを持つ表現者に利用されてしまうような演出をつくってはいけないと思っているんですよ。それって…

− すごく難しいですよね?!

筒井:すんごく難しい!なんならわざと退屈にしなければならないことも出てくる。スタイリッシュでデザインが優れているかっこいい演出っていうのは、どっちのイデオロギーも使いたがる。そうなるとこっちはかなり戦略的に臨まないといけないわけですよ。だから、あえてこういう言い方をするんですけど、どこかにある程度の退屈さを含めないといけない。じゃないと利用されちゃう。

− 今、利用されまくっている気がします、なんとなく…。

筒井:そうでしょ?最近テレビの歌番組でも、一人で歌っている歌手の後ろで一人で踊っている人をよく見るよね。あれ、どういうことになってるんやとちょっと思ったりとか。面白いとは思いつつ、世間に浸透したことに対しての良し悪しはあると感じています。もちろん、悪い面だけではないとは思ってますよ。

− 広まっているなという面ではいいなと思います。ただ真似事のように浸透している瞬間を見ると「気持ち悪い」という感情が出てきてしまって。

筒井:今、観る側も創る側もなんらかのジャッジが要されるているなということですね。

− 難しいジャッジですね。ではお時間になりましたので…。すみません、このような形で終わってしまって。ありがとうございました。

筒井:はい、ありがとうございました。

 

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筒井潤+新長田ダンス事情『滲むライフ』

2010年に「新長田ダンス事情」で、真野地区にある老人ホーム故郷の家で行われたイベントを訪問しました。その締めくくりで韓国の民謡が流れた瞬間、おじいさん・おばあさんたちが自然と踊りだし、全てが幸福に満たされました。この光景が今回のプロジェクトのきっかけです。人々の身体が記憶している踊りや風習を探るべく、新長田の様々な場所へ赴き、いろんな方の話を伺いました。私たちを形づくる踊り・歌・言葉の姿に出会います。

日時:11月18日(土)、19日(日)14時から

会場:ふたば学舎 講堂

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